許されざる  16


16.暗躍


「……手がかりはなし、かぁ」
 アメリアは、ぼんやりと青い空を見上げた。高い空の上では、白い雲がゆっくりと流れていく。
 白い華奢なテーブルの上には、白磁のティーセット。中に入ったお茶は、すでに冷え切って湯気も立てていない。その横には、その場にまったくふさわしくない禍禍しい漆黒の珠。
 それをジーっとただ見つめながら、アメリアはため息をついた。
 ここは、ル・アースの大公宮。その私邸にあたる部分の中庭で、アメリアは一人ぼうっとしていた。
 彼女の今の立場は、非公式な客人である。故に外交的な措辞をとる必要のない代わりに、する事もない。ただここで、彼の手がかりが見つかるのを待っているだけだ。
「………ゼロスさん辺りなら、もうゼルガディスさん見つけてるんでしょうか?」
 自分で呟いて、顔を顰めた。今更ながらに自分を放り出していった管理職魔族に腹が立つ。
 毎日毎日、ゼルガディスのことを考えると焦燥感が溢れてくる。夜眠るときさえ、彼の姿がちらつきぐっすり休むことができない。おかげでここしばらく、寝不足気味でもある。
 またため息が漏れる。
 ここの大公であり、ゼルガディスにとっては弟のような存在のレイス。情報一手に握る能力を持った国の国主が協力しても、いまだ何の手がかりさえつかめていない。
「………そもそも、どうしてゼルガディスさんを……?」
 常々考えていた疑問が声に出る。
 確かにゼルガディスは、いままでよりも格段の魔力を手に入れた。しかも、その右目はアストラル・サイドを覗き見るというわけの分からない力までつけている。さらにそのうちには、レゾの魂が同居している。
 はっきりいって、とんでもない事だと言うのは分かる。
 しかし、抹殺せねばならないようには思えない。別に世界を滅ぼすつもりもなく、平穏無事な旅を願っているだけなのに。
 トラブル吸収体質がリナから移ったのだろうか?
「うぅ。一体何がしたいんでしょう、あの人達は………」
 半分涙目になって呟いた瞬間、
「かわいいーーーーーー!!!!」
 甲高い女性の声と共に、いきなり後ろから抱きしめられた。


「!!!」
「もう、すっごいかわいい!!きゃー。抱き心地もいい感じー!!」
 驚いて声も出ないアメリアを、その女性は遠慮なくぎゅうぎゅう抱きしめた。結構遠慮のない力で、体の骨がぎしぎし鳴っているのが分かる。
「ちょ、ちょっと!すいませ…!く、くるし………!!」
「ああ、もう!ゼラス様!!アメリアさんが驚いてるじゃありませんか!」
 振り向くことのできない後ろで、聞いた事のある声が響いた。ぴたり、と二人の女性の動きが止まる。
「ぜ、ゼロスさん…………?」
 締め付けがなくなったので、ゆっくりと後ろを振り向いてみる。そこには、数日前人を放り出していった管理職魔族が、いつものごとくニコニコと佇んでいた。
「はい。おひさしぶりです、アメリアさん」
 ぼく!
 まったくすっきりさっぱり笑顔で言われて、思わずアメリアは拳を突き出していた。にっこり笑顔の顔面真中ストレートに直撃する。
「ぐ。いきなり何するんですかぁ?」
 上級魔族が、わざとらしく目尻に涙をためながら反論した。それを故意に無視して、自分にしがみついている人を指差す。
「で、この方はお知り合いですか?」
 赤くもなっていない顔面を押さえていたゼロスが、苦笑を刻んで頷いた。
「はぁ。知り合いというか、僕の上司です」

 ………………?

「………………………はい?」
「ですから、僕の上司の獣王様です(はぁと)」 
 呆然としているアメリアに、ゼロスがにこにこと繰り返した。アメリアがふるふると震える指を、ゆっくりと彼女に持っていく。
「……ってことは、この方が……。………もしかして………」
「そうそう」
 こくこくとしがみついている美女が頷く。
「陰険でいぢわるなゼロスさんの上を行くという、恐怖の的!獣王ゼラス=メタリオムさんですか?!」
 素っ頓狂なアメリアの言葉に、ぴしっとゼラスの顔に亀裂が走った。ぐっと拳が握られ……。


「………だからって、僕に八つ当たりしなくても………」
 なぜかずたぼろにされたゼロスを見下ろして、ゼラスがふんっと腰に手を当てた。
「お黙り!あの子といい、この子といい、あんたが何か言ってるからこういう風に言われるんでしょう?!」
「いえ、それは………」
「罰。今度なにかミスったら半殺し(はぁと)」
「そ、そんな〜」
 きれいな笑顔で言いきって。ゼラスは上機嫌で振りかえった。そこには、いきなり現れた高位魔族のどつき漫才に、つい見入ってしまっていたアメリアのぼうっとした顔。
「さて、と。アメリア=ウィル=テスラ=セイルーン?」
「あ、はい」
 高位魔族の問いかけに、思わず律儀に答えてしまうアメリア。蠱惑的なゼラスの微笑に、思わずどぎまぎしてしまう。
「あなた、ゼルガディス=グレイワーズに会いたい?」
「!!ご存知なんですか?!ゼルガディスさんは今どこです?!!」
 聞いた瞬間、ぐわしっとその両腕を掴んだ。その時彼女の頭の中には、彼女はかの『魔竜王』よりも強く、『冥王』と同等の力を持っているという事実は消えうせている。その頭を占めているのは、ここしばらく心配で心配で仕方ない青年の事のみだ。
「知ってるなら教えてください!無事ですか?まだ何もされてませんよね?!まさか何かあったとか言わないですよね!!」
 がっくんがっくんゼラスを振りまわしながら、アメリアがうるうる涙目になって問いただす。
 その様子を黙ってみていたゼラスだが、唐突にその小さい体を抱きしめた。最初のときと同じ、遠慮しているとは思えない怪力で。怪力で抱擁される事に慣れているアメリアだからこそ、今だかろうじて口が利けるほどだった。
 しかし、そんな事を気にするゼラスではなかった。きらきらと光る目でゼロスを振りかえると、嬉しそうに腕の中のアメリアを見せる。
「連れかえっちゃ駄目?」
 ねだる、というよりも脅迫するというような口調のゼラスに、ゼロスはゆっくりと首を振った。
「駄目ですってゼラス様。そんな事したらゼルガディスさんが怒鳴り込んできますよ。……おまけに、アメリアさんもきっと暴れますし……。面倒ですからあまりお勧めはできません」
 ゼラスに睨まれて、だんだん口調が沈んでいくのが情けない。しかし、ゼロスの説得で彼女も気が変わったようだ。しぶしぶとアメリアを解放すると、それでも未練たっぷりに彼女を眺めた。
 なんとも居心地が悪く、アメリアが一歩下がる。
 と、それまで彼女を眺めていたゼラスの視線が止まった。
 すっと手をのばすと、彼女の後ろの机にあったものをつまみあげる。
「………これは」
 すっとそれを目の前にかざす。
 それは、ゼルガディスの部屋の隠し部屋で見つけた、漆黒の珠。何に使うものなのか、どうやって使うものかわからない謎に満ちたものだった。
「ご存知なんですか?」
 首を傾げるアメリアに、ゼラスは肯定とも否定ともとれるような曖昧な笑みを浮かべた。
「さて、ね。教えてあげてもいいけど、あなたには役に立たないわよ?」
「でも!一回竜族達を追い返す事ができました!使い方をご存知なら教えてください!」
 アメリアの言葉にゼラスが一瞬目を見張る。そして可笑しそうに、手の中の珠をころがした。
「ふーん。これが、ねぇ。……………ま、偶然でしょ」
 一言のもとに言いきられ、アメリアはがっくりと肩を落とした。それがあればゼルガディスを助けるのが簡単になると思ったのだ。


「それよりも!私の最初の質問に答えてくれないかしら?」
「え?あ、はい。えーっと……。何でしたっけ?」
 ずる。
 獣王様はノリがいいらしい。足を滑らせ、転ぶのを一瞬こらえる。
 その隙(?)に、ゼロスがそっとアメリアに囁いた。
「ほら、アメリアさん。『ゼルガディス=グレイワーズに会いたい?』って聞かれた事ですよ」
「ああ!」
 ぽんっと両手を打ち合わせる。本気で忘れていたらしい。いいのか、それで………。駆け落ち(?)までした仲だろうに。
「で!ゼルガディスさんはどこですか?!」
 改めて、といった感じでゼラスの腕を掴んだ。すがるようなその瞳に、ゼラスがにっと口をほころばせた。
「彼は既に牢獄を破り竜族のもの達から逃げ出しているわ」
 ゼラスの言葉が浸透するのに時間がかかった。しかし、理解した瞬間、どっと体の力が抜ける。
「そう、ですか………。よかったぁ」
 逃げ出したという事は、少なくとも無事という事だ。あまり考えたくはなかったが、攫われたときに彼の死を仄めかされていて気が気ではなかったのだ。
 ほっと息を着いた瞬間、じわりと目が熱くなった。視界がかすむ。しかし、まだ泣くわけにはいかない。
 逃げ出した彼を追って、竜族達は再度攻勢に出てくるはずだ。その前になんとしても彼の傍に行って、助けなければならない。
 溢れてきそうな涙を乱暴に手でぬぐうと、アメリアは再びゼラスを見上げた。ゼラスの瞳が、細くなる。
「…………私に付いて来れば、ゼルガディスに会わせてあげる。でも………」
「でも?」
「その前に、真実は知りたくない?」
「真実…………?」
 ゆっくりと、ゼラスが頷いた。珠を持つ手をすっと上に向ける。ふわりと、それが宙に浮かんだ。
「ゼルガディスが狙われている理由。なぜ竜族達があの子を殺さずに捕らえようとしたのか。………知りたくない?」
「……それは………」
 それはずっと知りたいと思っていたことだった。
 最初の襲撃のとき。油断してた自分達を消し去るのは容易かったはずなのに。それなのに、彼らは神の力を借りてまで彼を捉えた。
 懐柔できれば仲間として。
 できなければ、罪人としての死を。
 彼らが言っていた理由では、何か納得ができないことだった。
「面白い事がわかるかもよ?それに、知っておいた方が、きっと後の役に立つ」
 考え込んだアメリアを楽しそうに見下ろすゼラスが、そっとその耳元で囁いた。
 魔族の誘いに乗るのは、賢き者のする事ではない。しかし他に手がかりがないのも確かなのだ。
 それに、その事が本当に役に立つかもわからない。だが、役に立たないとも言いきれない。
「一つ、教えてください」
「何かしら?」
「何のために私にその事を?」
 まっすぐなアメリアの瞳に、ゼラスは満面の笑みを浮かべた。
 そして、先日青年の夢の檻でしたように、にっこりと微笑むと薄い唇に人差し指を当てた。
「竜族への、い・や・が・ら・せ(はぁと)」
 心底嬉しそうなその声音に、二人に忘れられかけているゼロスが大きくため息を吐いた。苦労が多いな、中間管理。
「いやがらせ、ですか?」
「そう。またの名を妨害!立派な敵対行為でしょう?」
 くすくす笑うゼラスに、アメリアはきょとんとした目を向けていた。突拍子もない答えだったが、偽りだらけと感じた竜族の言葉より信じられた。
 だから・…………、同意の印に頷いた。
 ゼラスの腕が伸ばされる。その中に包まれながら、突如心地よい睡魔に襲われた。
 瞳を閉じる瞬間、自分を呼ぶ声が聞こえた気がしたが、もう目を開けていられなかった。


 目の前の光景に、レイスは愕然とした。
 彼の兄とも慕う人の大事な人が、妖艶なる美女と共に宙に掻き消えていく。ぐったりとしたその様子に、背筋に寒気が走る。
「アメリア姫!!!」
 彼女が気付くようにと叫んだが、願いもむなしく答えは帰ってくる事はなかった。手に持っていた書類を放り出し、彼女が消え行く空間に向かって走る。
 そして、ようやくその場にいるもう一人に気づいた。
 全身を黒で固めたような、神官。いや、神官のふりをした魔族。
「貴様は!!」
 走りながら、腰にさげてあった短剣を引きぬく。
『アストラル・ヴァイン!!』
 呪文に呼応して、白刃が紅く染まる。自分で勝てないと分かっているが、それでも逃げ出すわけにはいかなかった。
「アメリア姫をどこへやったぁ!!」
 叫びながら剣を一閃させる。が、それは掠りもせずに避けられた。
 その場に残っていた魔族―ゼロスが困ったように頬を掻く。
「そう怒らないでください。アメリアさんはご自分の意思であの方について行かれたんですから」
「それを信じろ、と?」
 距離を置いて剣を構えながら、レイスはゼロスを睨みつけた。
「信じていただくしかないですよ。それより、ゼルガディスさんの居場所は掴めたんですか?」
「魔族に教える必要はない!!」
 睨みつけてくるレイスに、ゼロスは大げさに肩を竦めた。そして無言で、すっと手を差し伸べる。
 次の瞬間、ばさばさという音と共に数枚の紙がその手の中に飛び込んだ。先ほどレイスが落とした書類だ。
「貴様!!」
 慌てたレイスが、剣を持っていないほうの手を突き出した。口早に呪文をとなる。
『ブラム・ブレイザー!!』
 きゅお!
 しかし、蒼い光条が走ったその場所にゼロスの姿はなかった。
 ぷかぷかと小馬鹿にしたように浮かびながら、ゼロスは手元の紙をぺらぺらとめくる。
「ふむふむ。謎の山の爆発に、近場の宿の崩壊。いまはメルイの森の中があやしい、と。やー、人間の割に情報が早いですねぇ」
 ひとしきり感心すると、それを無造作に放り投げた。ばさばさとレイスに向かって降り注ぐ。
「ですが、あなた程度の腕ではこれ以上の介入は止めた方がいいですよ?かえって足手まといになるでしょうから」
 にっこり言われた言葉に、レイスはぎりっと唇をかんだ。確かに自分には力が足りない。目の前にいたのに、アメリアを守る事もできなかった。だが、それで素直に魔族の言葉を聞けるはずもなかった。
「なぜ、魔族がそんな事を気にする?人の破滅は、貴様らが望むことだろう?!」
 レイスの叫びに、ゼロスは肩をすくめた。
「今回は違います。ゼルガディスさんにはぜひ頑張ってもらわないと・・…。ほら、敵の敵は味方っていいますし」
「いや、言わないと思うけど・………」
 レイスの言葉を、ゼロスははっきりと無視した。
「ですから、足手まといがいるのはちょっと困るんですよねぇ。そういうわけですので、あなたはここでのんびりと情報を待っていてください」
「ま、まって・・!!」
 一方的に言葉を切って、ゼロスは闇に消えていった。
 残されたレイスは、悔しさに拳を握り締める。
 前回も、今回も。そして昔から。
 ゼルガディスが困っているときに、何の手助けもできない。自分では強くなったつもりだったのに、結局成長していない気がした。
 手に持った短剣を、力いっぱい床に投げつけた。甲高い音が響き、魔術の切れたそれが、真中から真っ二つに折れる。
 それが、自分の姿を現しているようで、情けなくなった。
「……………くやしい!!」
 小さな小さな叫び声は、誰もいない廊下に溶けて消えていった。




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