許されざる  17


17.予感


 心のどこかに風が吹く。
 昔感じた、懐かしい風だ。
 それと一緒に、愛しい人の声が響く。

『ねえ……。どうして、いつも………なの?』

 その声が自分の名を呼んでいる。限りない優しさを込めて。
 いつまでも続くと信じていた時間。奪われてしまった遠い過去。

 目が熱い。


 自分の頬を伝う感覚に、ゼルガディスはゆっくりと瞳を開いた。手袋を取った手で、そっとそれを拭う。
「……………またか」
 ここの所、眠ると必ず夢を見る。それも、自分の夢ではない。いや、それを夢といって良いのか。
「……………レゾ」
 そっと、自分の中にいるはずの意識に呼びかける。しかし、応えはない。ここの所ずっとだ。そう、竜達の棲家を逃げ出した後からずっと。
 あれからずっと、レゾの意識が眠りに落ちている。恐らくは、自分が意識を失った後に何かしたのだろう。その為、魔力を使いすぎたのか。
 おかげで、ゼルガディス自身の体力もいまだ回復していない。
 そして、その頃から妙な夢を見るようになった。
 それはいつも暗闇で、誰かの声が聞こえてくる。
 とても懐かしいのに、聞いた事のない声。それと一緒に感じる、温かい感情。
 恐らくは、レゾの夢。あの夢の牢獄の影響なのか、それが僅かながらにゼルガディスの意識にも流れ込んでくる。
 その夢は、温かくて、懐かしくて。決して戻らない過去を、思い出させる。今に不満があるわけではないが、それでも懐かしさに胸が熱くなる。
 しかし、今はそんな事を考えている時ではない。
 今はまだ竜族に見つかってはいないが、依然彼らの捜索は続いていると考えるべきだ。しかも今は、一人ではない。
「………おい、レゾ」
 瞳を閉じ、もう一度呼びかける。しかし、沈黙が続くばかりだ。
「…………………くそじじい。耄碌じじい。ボケじじい。変態じじい。若作りじじい。陰険じじい」
 とりあえず思いつく限りで罵倒して見る。が、しかし、いつもなら間髪置かずに返事があるのに、今はない。
 ゼルガディスは軽く溜め息をつくと、ゆっくりと椅子から立ちあがった。
 窓の外は夕闇に沈んでいる。そろそろ酒場の灯りが派手にちらつき始める時間だ。
 と、その時、下から激しい怒鳴り声が響いて来た。それに続く高笑い。
「…………またか」
 ゼルガディスは痛くなって来た頭を抑え、深くため息をついた。そろそろ慣れてきた自分に嫌気がさしながら、扉に手をかける。
 そこは、とある都の小さな酒場件宿屋だった。


「おーほっほほほ!この白蛇のナーガに向かって喧嘩を売るなんていい度胸だわ!今すぐその馬鹿な頭、さらに馬鹿にして上げるわ!」
「何わかんないこと言ってやがる、この露出狂女が!」
「そうだ!俺達はただ、その服のセンスが……!」
「お黙りなさい!この服はね、私の母の遺品なのよ!それを馬鹿にしたんだから、精神的慰謝料を払うのは当然でしょうが!!」
 階段を降りるなり響いて来た声に、ゼルガディスは危うくその場に座り込んでしまうところだった。
 理由は二つ。
 一つは、やはり騒ぎを起こしていたのは"彼女"だと言うこと。そしてもう一つは
(あ、あの服が母親の遺品?と言うことはつまり、アメリアの母親の遺品?!)
 頭を抱えたくなる新事実。脳裏に、アメリアがあの格好をして高笑いする姿が浮かんで来て、思わず頭を振る。
「さあ、覚悟しなさい!」
「くそ!そう簡単にやられてたまるか!」
「お客さん!喧嘩ならよそでお願いしますよぉ!」
 騒ぎの中心のすぐ側で、情けない声も上がっていた。その声に、はっと気付き、ゼルガディスは慌てて立ちあがった。
 そして、まさに一触即発と言うその場に向かって手を翳す。
『アーク・ブラス!!』
「ぎゅわわわわ!!」
「ぴぇぇぇえええ!」
 解き放たれた雷撃が、その場にいた者達を一瞬にしてクロコゲにする。まあ、全員ぴくぴくしているから、死んではいないだろう。
「すまなかったな」
 ゼルガディスは慣れた手付きで、クロコゲの男達の懐から財布を取り出すとそれを宿屋の主人に向かって放り投げた。そして、用済みになったクロコゲ達を外に放り出す。
「う〜〜ん」
『スリーピング』
「くー、すー、ぴー」
 いち早く目を覚ましかけたナーガに眠りの呪文をかけると、ゼルガディスは一人優雅に椅子に腰かけた。
 そして呆然としている宿の人間に向かって、ぱちんと指を鳴らす。
「………当分目を覚まさないから部屋に放りこんどいてくれ。それと、軽い食事を」
 彼の旅路は、目下平穏とは無縁だった。


「なんですって?」
 報告書に目を落としながら、彼女は思わず目の前にいる男に厳しい目を向けた。対して男は、黒い頭巾で顔を覆っている為表情は見えない。
「これはいつの事なの?!」
「約3ヶ月ほど前の事です」
「……そんなに前の情報が今ごろ届くなんて、そちらの情報能力も地に落ちたものね」
「………」
 彼女の嫌味に、男は何も言わずに頭を垂れた。情報収集を生業とするものだ。その伝達の遅れがどれほどの損失を生むか、心得ている。だからこそ、言い訳などしない。
「……情報料は差し引いとくわよ」
「当然のことでしょう。我らとて、それで料金をもらったとあっては名折れ」
「分かってるじゃない。前は、どんなばかげた事にも法外な金額を要求していたのに。新しい王様の指針かしら?」
「…………情報にみあった料金を取る。それが我々の、元からの指針です」
「あら、そう。初めて知ったわ」
「……それは」
 苦渋を噛み締めるような男の表情に、彼女は冷めた表情を返していた。
「なるほど。そうやって情報を集めていたのか」
「誰!」
 突然背後から聞こえてきた声に、彼女は振り向きざまに手を翳す。が、呪文を唱える前にその腕が掴まれる。
「そう、慌てるな。何もしやしないさ」
「…………あなたは」
 目の前で苦笑を浮かべるゼルガディスに、彼女−ナーガ−は軽く目を見張った。
 この距離になるまで気配を感じさせないとは、さすがと言うべきか。掴まれている腕を振り払い、ナーガは目元に険を寄せる。
「盗み聞きとはいい趣味ね。さすがに裏社会で名を馳せていただけはあるわね」
「嫌味は聞き飽きた。それにしても、あんたがこんな方法で情報を集めているとはね。なるほど、色々と詳しいわけだ」
 ゼルガディスの言葉に、彼女は長い黒髪を揺らした。
「当然よ。情報を制するものは――」
「陛下!!」
 ナーガの自慢げな声は、いきなり横から響いた声にかき消された。
「へーか?」
 素っ頓狂な声をあげるナーガを無視して、男は今まで自分の顔を覆っていた黒頭巾を外した。
「………クア」
「お久しぶりでございます、陛下!」
 クアと、ゼルガディスに呼ばれた男が、素早くその場に平伏した。その様子に、ゼルガディスは苦笑を浮かべて首を振る。
「陛下はやめてくれ。今はレイスが"陛下"だろう?それに俺は、あんたらに対してなにもしていない」
「いいえ!事の顛末は全てレイス様から伺っております!あなたは、我が国を救ってくださった」
「……あいつ」
 身内の恥と、黙っていれば良いものを。しかし、それを全て明るみに(といっても、国内のみにだが)出せる所が、ある意味彼の強さなのかもしれない。
「って、ちょっと待ちなさいよ!二人で何勝手に完結した会話をしてるわけ!大体、なんで、あなたがル・アースの正式な情報部隊の個人名を知ってるのよ!それに、"陛下"って?!ル・アースの先代と言えば、赤法師の所で修行中で、代わりに狸親父が摂政してたんじゃないの?!」
「……さすがに詳しいな」
「はぐらかさないで!それに、あんたアメリアと駆落ちしたってどう言うことよ!!」
「そ、それは今は関係ないだろう」
 いきなりの事に、微かにゼルガディスの頬が染まる。そしてあらぬ方向を見ながら、頬をかいた。
「………まあ、色々あったというだけだ」
「その色々を説明しなさ言っていてっるのよーーーー!!!」
 絶叫するナーガを無視して、クアが一歩前に出た。
「陛下・・、いえ、ゼルガディス様。レイス様から伝言があります」
「伝言?」
 これまたきっちりナーガを無視したゼルガディスが、クアを見下ろし首を傾げた。恐らく、世界各地に散らばる者達全員に託された伝言だろう。
 促すゼルガディスに、クアは短くこう告げた。

『預かった宝物を、黒い神官に奪われた』



「ちょっとぉ!いきなりル・アースに行くってどう言うことよ!」
 夜の街道を歩きながら、ナーガは目の前を早足で歩くゼルガディスに喚きながらついて歩いている。
 それを振り返る事もなく、ゼルガディスはただひたすらに前進する。
「嫌なら、とっとと帰れ。別に付いて来てくれとはいってない」
 そっけない口ぶりに、いままでにない焦りが浮かんでいる。ナーガは歩幅を上げると、きっちりとゼルガディスの横に並んだ。
「冗談じゃないわよ。あんたの正体を突き止めるまでは、絶対に付いて行くわ」
「正体?」
 目だけをナーガにやり、ゼルガディスは色違いの瞳をまたたかせた。
「そうよ!あの子をどうやってたぶらかしたか知らないけど、私には通じないわよ!」
「ひ、人聞きの悪いことを言うな!」
 敵視ばんばんの視線を向けてくるナーガに、ゼルガディスは思わず怒鳴り返していた。
「口ではなんとも言えるわ!お父様は騙されたみたいだけど、私はそうはいかないんですからね!」
「あー、もー。勝手になんとでも言ってくれ」
 半ば投げやりに言い捨てると、ゼルガディスはさらに歩くスピードを上げた。それに遅れまいと、ナーガも再び速度を上げる。
「ついてくるのは勝手だが、命の保証はせんからな」
「ほら、やっぱり、怪しいわ!まさか、うちのアメリアまで巻き込んでるんじゃないでしょうね!」
 珍しく鋭いナーガの指摘に、無言になってスピードを上げる。もはや走っているのとあまり変わらない速さだ。それにもナーガは追い縋る。
「…ちょっと!答えないって事はやっぱりあの子をまきこんでるのね!」
「………」
「答えなさいよ―――!!!!」

 その夜、まさに風のようだったと、二人の姿を見た者達は証言したという。



 心の奥に炎が燻っている。
 自分と、自分の大切な者に危害を加えようとする者に対する、暗い炎だ。
 そいつら全てを滅ぼしたい。
 住む場所ごと、焼き尽くしたい。
 その欲望が、心の最深部から囁くように競りあがってくる。
 それをぎりぎりで止めている声がある。
 愛しい声。
 
『----。――――は、―――のよ』




 久しぶりに目を覚ますと、いままでいた場所と違う所にいた。
 どこか嗅いだことのある香り。懐かしい、この空気。
『ゼルガディス――――――――?』
(気付いたのか)
 間髪いれずに、答えが返ってくる。その横に、見覚えのない顔が一つ。黒髪の、中々の美女。
『―――浮気は駄目ですよ、ゼルガディス』
(起きて第一声がそれかい)
 ゼルガディスのこめかみが引きつっている。その様子に気付いた美女が、怪訝そうな視線をおくってきた。
「なにボーっとしてるのよ。さっさと行くわよ」
 いつも通り胸をはると、ずんずんと一人先に歩いていく。
「……結局、ついてこられたか」
 深くため息をつきながら、ゼルガディスも踏み出した。
『ゼルガディス・・・…。ここは・・・・・・…?』
「ああ。………懐かしいだろう?」
 レゾの言葉に、ゼルガディスは僅かに目を細めた。
 遠くに霞む城の影が、昔見た時と同じように佇んでいる。いや、少し大公宮の辺りが欠けているような気がするが。
 二度と帰るつもりはなかった故郷。
 最後に振りかえったのは何年前の事だったか。
「まさか、こんな形で帰ってくることになるとはな」
『こんな形?』
 溜め息混じりのゼルガディスの言葉に、レゾが疑問を投げかけてくる。
「ああ、それは……」
「ちょっとー!早くきなさいよーーーーーー!!!」
 遠くで叫ぶナーガの声に背中を押され、ゼルガディスは歩きだした。アレのことを含めて説明するとなると、かなり手間がかかりそうだ。
 
 新たなる波乱を予感しながら、ゼルガディスは風に目を閉じる。

 少しだけ、懐かしい香りに身を委ねた。

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