許されざる 5
5.過去
深夜の静寂が降り積もる中、アメリアはゆっくりと順序だてて話し始めた。
奇妙な集団がゼルガディスを尋ねてきたこと。
その集団がゼルガディスを利用もしくは殺そうと思っている事。
現在、ゼルガディスはその者達に拉致されている事。
それらが地竜王に使える竜族という事は伏せて置いた。それだけは譲れない,一線のような気がしたのだ。
全てを話し終わったアメリアは、真剣に考え込むレイスに視線を向ける。
「それで、どう思われますか?」
問いかけるアメリアに、レイスは軽くこめかみを掻いた。
「そうですねぇ。それだけ怪しい集団が移動するとなると結構目立つはずです。それが、まだ僕の耳に入っていないと言う事は、彼らはどこかに潜伏していますね」
ふむ、と頷いてレイスは腕を組んだ。そうやって考え込む姿は、驚くほどゼルガディスに似ている。
(血は争えないなぁ)
等とぼんやりと考えてしまう。そうしているうちに、レイスは軽く溜息をついた。
「手がかりが無い以上、その金色の光が消えた方向を中心に、大人数が潜伏出来そうな場所を洗い出しましょう。そこで、最近現れた者達がいないか、も」
考えるだけで暗くなりそうな調査だが、他に方法も浮かばない。使っている者達から不平が上がるだろうが、それぐらい抑えなくてはゼルガディスの期待を裏切る事になるだろう。
大きく溜息をついて、とん、と書類をまとめた。
「とりあず、あなたはうちの賓客扱いになっています。大公宮はどこへ行ってもいいですから、情報が入るまで御自由になさっていてください。それとも、どこかに案内させましょうか?」
整えた書類を小脇に抱え、経ち上がりながらレイスがアメリアに視線を向けた。視線を受けたアメリアは少し戸惑った。
どこか、と言われてもここがどこかさえ分からないのだから,答える事ができない。それに、ここにいれば一早く情報が聞けるではないか。だから、アメリアは軽く微笑み首を振った。
「いえ、いいです。ここで知らせを待っています」
言い切ったアメリアに、レイスは残念そうに息をついた。
「そうですか。兄さんのいた部屋にでも案内させようかと思ったんですが、それならば仕方ないですね。じゃあ、これで失礼します」
くるりと身を翻し、ドアの方へ向かって歩き出す。が、三歩も進まぬうちにその足が止まった。いや、正確には、止められた。
「…………なんでしょう?」
首だけを振り向かせ、自分のマントを掴んでいる少女を見下ろした。
視線を向けられたアメリアは、ぱっと手を離すとにへらと相好を崩した。
「え〜と、その。ゼルガディスさんの部屋、見てみたいな〜なぁんて」
もじもじしながら、すこし頬を染めたアメリアに、レイスは少し頬を緩めた。そして、アメリアに向かって優雅に頭を下げると、戸惑うその手をとった。
「では、どうぞプリンセス」
案内された部屋の扉は、何の変哲もないただの扉だった。仮にも公子、いや七歳からは形だけとはいえ大公をやっていたのだから、もっと華美な扉があると思っていたのに。
「兄さんは、そういうのにあまり興味がなかったみたいですから」
つまり、大公だから身辺の豪勢にする、という事を好まなかったのだろう。あの人らしい、とアメリアは思った。
自分の身を飾るという事に、あまり感心があるようには思えない。身の回りのものも、必要最低限でしか無いような気がするのだ。ゼルガディスには、そういうイメージがある。
そんなことを考えていると、レイスが懐から鍵を取り出した。小さな、けれど少し古くなった鍵。明らかに、何年も使われていない。
思った事を口に出すと、その鍵を寂しそうに見つめ、レイスが苦笑を頬に刻んだ。
「兄さんが最後に連絡をくれた時、この鍵も一緒にくれました。自由に使え、と。あそこはもう僕のだと。でも、僕はそんなものなんか欲しくはなかった。父は喜びましたけどね」
すっと、それを鍵穴に指し込む。軋んだ音が使われていない年月を物語る。
「それから7年間。僕も一回しかこの部屋に入ってはいません。すべて昔のまま、そのままです。鍵を持っているのは僕だけですし、無理に開けようとしたら罠が発動しますからね。何人か命を落としているそうですね」
なんだか物騒な事をさらりと言って、ゆっくりと扉を押し開いた。
何年も使っていない部屋特有の、埃っぽさとカビの匂いが押し寄せて来る。思わず口元を抑えて、二人とも軽くせき込んだ。
まだ夜明け前ということで、部屋は闇に包まれている。
「ライティング」
レイスが小さな明かりを生み出した。それに照らされて、部屋の中があらわになる。それを見て、アメリアは大きく目を見張った。
「………こ、ここ、本当にゼルガディスさんの,部屋…ですか?」
震える指で指し、震える声で真偽を問う。
彼女の目の前には、ものすごく豪勢な"子ども部屋"が広がっていた。
レイスが部屋のランプに火を灯した。先程よりもやや薄暗く浮かび上がる、部屋。
小さなベッドにかわいらしい動物の刺繍の入ったシーツが掛かっている。枕の横にはマスコットの山。勉強用らしい机の上には、ごてごてと飛行機などの子ども用のおもちゃが置いてある。本棚には絵本や物語の本、そして普通の勉強用の資料。どちらが多いかと聞かれれば、絵本や物語の本の方が多い。
それらが埃をかぶったまま、まるで持ち主の帰還を待つように静かに部屋になじんでいる。
普通の子ども部屋より幾分豪勢な、けれど普通の子どもの部屋。
「……………」
あまりにものイメージとのギャップにアメリアが少し呆然としていると、レイスがくすくすと笑いながら棚に置いてあった熊のぬいぐるみを手にとった。軽く埃を払いながら、それを抱える。
「意外でしたか?でも、兄さんは確かにここで13までいたんです。ただ、部屋の中身は7歳の頃から変わっていませんけどね」
軽く言われた言葉に、気がついた。
「じゃあ、ここでは、ゼルガディスさんは寝ていただけってことですか?」
問われた言葉に、レイスは小さく頷いた。
では、彼はここに何の感心も払わなかったのだ。両親が死んでから、ずっと。なにかを捨てる訳でもなく、なにかを入れる訳でもない。
ただ、眠る場所としてだけの場。そこには何もない。止まったままだ。普通は、子ども部屋は子どもと一緒に成長していくものだ。
では、ゼルガディスにとってここは何だったのだろう。どう見ても手作りのマスコットやぬいぐるみの山。そこかしこから見て取れる、両親の愛情。それらは、ゼルガディスにとって、どんな想いの対象だったのだろう。
「そう、ですか」
小さな声でレイスに言葉を返し、アメリアはそっと小さなベッドを撫でる。
両親の仇と知っていながら6年の月日を叔父と過ごし、レゾにより様々な知識を与えられていた少年。この部屋には、そんなものの欠片さえもない。
溢れかえる愛情の印。
しかし、それは同時に憎しみへの糧にもなる。両親の愛の形を目にしていれば、それを奪った者への憎しみもまた増すだろう。そんな中で,彼は6年間も眠っていたのだ。
小さな子どもに、安息はあったのだろうか。
深く想えば想うほど、心がやるせない。
自分の想いは、あるいは同情なのかもしれない。そんなものゼルガディスは求めてなどいない。けれど、自分の心に宿るこの感情を、他に何と呼べば良いのか分からない。
「………それでは、僕はこれで失礼します」
深く考え込んでいるアメリアに気を使うように、レイスがそっと辞去を申し出た。はっとした様にアメリアが振りかえる。
「あ、それじゃぁ。出ないといけませんね」
無理に明るい声を出すアメリアに、レイスは軽く首を振った。そして、手に持っていた鍵を側にあった机に置く。
「鍵はここに置いておきます。どうぞ、ご自由に見て行って下さい」
「え、で、でも!」
アメリアはうろたえた。ご自由に,と言われても、家主のいない所でしかもゼルガディスの部屋を自由に見るというのは、少々気後れする。なおも躊躇うアメリアに、レイスはにっこりと笑いかけた。
「いいですよ。ここはもう"僕の部屋"なんですから。誰に見せようと、鍵をあげようと自由なはずでしょう?」
くすくすと笑うその顔は,どう見てもゼルガディスへの意趣返しも含んでいると表していた。いきなりこんなものを送りつけて来た相手が悪い,とでも言いたげなその顔。
「い、いいんですか?」
「ええ。それにアメリア姫なら、兄さんも文句は言わないでしょう」
なんとなく、担がれているような気もしないではないが、アメリアはとりあえず頷いた。
「じゃあ、お預かりします」
「はい。ああ、返すのは次に、兄さんと一緒に来た時にしてくださいね」
要するに、それまでは受け取る気はないという事か。アメリアは深く溜息をついた。
この人は、前に会った時ここまでしたたかだっただろうか。それとも、あの人達のパワーに押されていただけだったのか。どちらにしても、かなり自分の中のレイス像を改革する必要があるようだ。
「…………努力してみます」
アメリアが言ったからといって、ゼルガディスが素直にここに訪れるとは限らない。暗にそれを言っているのだが、レイスはそれを黙殺した。
「じゃあ、情報があったらお知らせしますから、それまではご自由にしていて下さいね」
上機嫌と書いてありそうな顔で部屋を後にする。その後姿を見送って、アメリアはぽつりと一言もらした。
「狸って、遺伝でしょうか?」
ここにいないゼルガディスが聞いたら、どんな反応を返すことやら。
閉じられた扉から視線を転じた。
そっと窓に近寄り、閉じられたままだったカーテンを開く。東の空がやや赤みを帯びて、その輝きを溢れさせようとしている。
消えゆく星を眺めながら、アメリアはひとつ大きく溜息をついた。そして、くるりと振りかえると、腰に手を当てて決意した瞳で部屋を見まわす。
「よし!ちょっと片付けましょう!!」
他人の部屋を勝手にどうこうするのは気が引けたが、それ以上にここを埃に埋もれさせておくことが口惜しかった。
「それに、レイスさんも自由にしていいって言いましたし!!」
自分に勇気をつけるように宣言すると、ぐっと袖をまくった。
「うん!やっぱり綺麗な方が良いですよね」
一人頷くと、早速片付けにかかった。
まずは、床を掃く。途端に舞い上がる埃の渦。
「げほっけほっこほ!」
激しく咳込んで、涙を流す。7年分の埃は並みではないようだ。涙でかすんだ視界で、何か捕まる物を探して手をさまよわせる。だが、埃と涙でなかなか目標物が見つからない。
思わず1歩踏み出した時、なにかに足を取られた。
「うきゃ!!」
当然の如くバランスを崩す。咄嗟に伸ばした手が、何かを掴んだ。が、つっかえになることなく、それも一緒に倒れこむ。
「きゃあぁぁぁあ!!」
どかずしゃざしゃぁぁぁああ。
激しい音を出し何かが雪崩落ちる音が響き、さっきよいりもひどく埃が舞い上がった。もうもうと立ち込める埃に、アメリアは息を止め目を瞑って耐えた。
埃が収まった頃、アメリアは軽く手をはたいて立ち上がった。ひどい音がしたというのに、誰もこない。恐らく、誰も使っていない部屋なので警備が薄いのだろう。
「まっ黒になっちゃいました」
小さく舌を出し、パタパタと全身をはたく。それだけでも埃が宙に舞う。そして、ちらりと視線を床へと向けた。何冊もの本が散乱している。その上には大きな本だな。どうやら、本棚の端っこを掴んで引き倒してしまったようだ。
「うう〜、余計に散らかしてしまったような……」
自己嫌悪に思わず頭を抱え込んでしまった時、視界に何かがひっかかった。
「ん?」
それは、本棚があった所の壁。そこに、埃が入り込んでうっすらと線を描いている。そう、人一人が通りぬけられそうなほどの、小さな扉のような線。
本棚のあった跡かと思ったが、よくよく見て見れば違う。壁にその形の隙間があるのだ。
「なんでしょう?」
そっとそれを指でなぞる。どこかに取っ手か何かあるかもしれないと探しても、何もない。ならばと,押して見てもびくともしない。
「むぅ?」
ペタン、とその前に座り込んでそれを見上げる。だが、どこにも手がかりが見える訳でもない。その線を除けばただの壁にしか見えない。
「開くんでしょうか?」
思わず背後に手をついた。その刹那、どこかでがこんと音がした。
「へ?」
戸惑う間もあればこそ、いきなり床が持ち上がった。そのまま、くるりと110度ほど回転する。結果
「ほぇぇぇぇええええ!!!」
滑り台のようになった隠し通路を、漆黒に向かって滑り落ちていく。もちろん、頭から。
「きゃぁぁあああああああああ!!!」
アメリアの悲鳴を飲み込んで、一瞬の後には壁は元の位置へと戻っていた。残るのは、最初よりもはるかに散らかった部屋だけ。
朝の光りが部屋に漂う埃を、幻想的に輝かせていた。
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