許されざる 6
6.獣王
真紅に燃え上がる建物。
遠くから、近くから、絶え間なく響く断末魔の声。
その中心に立ち、情け容赦なく刃を閃かせている、異形の男。
それは、そう遠くない過去の映像。
忘れてはいけない、己の罪業。
血に濡れる姿が、何とも暗く、そして狂気に彩られていた。
けれども、それ以上にその顔には、深い哀しみがあった。
「悪趣味な」
昔の自分の姿を直視しながら、ゼルガディスは冷然と呟いた。どれだけの時間そういうものを見ていたのか、覚えていない。意識だけの今、時間に対する感覚が消え失せているのだ。
映像を見ない為に目を瞑ればいいのではないか、と思い、一度閉じてみた。だが、そうすると今度は、目を閉じている自分を違う角度で見ている自分があるだけだった。
それはまるで合わせ鏡のように、永遠に続く無限の回廊。目を開けた瞬間に切れる、メビウスの輪。
それを立ち切る方法が、見つからない。
うんざりとした気分で溜息をついた時、傍らに立っていた男が暗然と溜息をもらした。
「どうした?」
顔を巡らせると、後悔に囚われた共存者の顔がある。紅い真紅の法衣を身に纏った、青年の姿をした彼の先祖。
「レゾ?」
再度声をかけると、レゾは自分の髪をうるさそうにかきあげた。
「大丈夫です。ちょっと、気分が悪くなっただけですから」
昔の自分に…。
呟かれた小さな声を、ゼルガディスは軽く頷いただけで流した。その様子に、レゾは空色の双眸を軽く見張った。
「あなたは、昔の自分を目にしても随分と余裕ですね」
意外そうなレゾの言葉に、ゼルガディスはふっと目を細めて未だ破壊が繰り返される光景を見つめる。
「余裕に見えるか?」
「ええ」
頷いて、ゼルガディスの隣に立つ。だがレゾは、破壊される街を見てはいない。視線を横に向け、別の姿を睨みつづけている。
そこには、口元に薄い笑みを貼りつけ、破壊の炎を心地よさそうにうけている真紅の青年が立っていた。かつての、自分の姿だ。
ゼルガディスは合成獣を、レゾは盲目の青年を見つめている。その瞳に宿る感情は、はっきりと違っているが。レゾは昔の自分を嫌悪し、憎悪さえしているような節があった。
ゼルガディスは、軽く視線を転じ二人のレゾを見つめた。同じであるはずのその存在が、まるで正反対の者のように見えた。まあ、多分に私観を含んでのことだが。
「お前はさっき、俺が余裕に見えると言ったな?」
レゾが軽く頷いた。ゼルガディスは小さく苦笑を閃かせると、さらりと銀の髪を払った。
「違う、余裕なんかじゃないさ。実はこれでも,結構我慢してるんだ」
昔の自分。
復讐を誓いながらも、己が復讐の対象となるような行為を繰り返していた過去。
岩で出来た肌、金属の髪、尖った耳。それが紅い血に濡れて、まずます異形を形作る。
「見ているだけで、吐き気がする」
微かにその秀麗な顔を歪めて、ゼルガディスは吐き捨てた。初めて声に、鋭い感情がこもる。レゾが驚いたように目を見張った。
「意外ですね。あなたがそんなに我慢強いなんて」
「どういう意味だ」
「そのままです」
むくれるゼルガディスの額を軽くこづいて、レゾは小さく笑みをこぼした。途端にゼルガディスの顔が真っ赤に染まる。
「やめんか!ガキじゃないんだから!!」
「子供ですよ、十分ね」
齢100を軽く越えていたレゾにとって、たった20年ほどしか生きていないゼルガディスなど、いつまでたっても子供であろう。憤然と溜息を漏らすゼルガディスに、レゾは軽く微笑むと視線を映像へと戻した。ゼルガディスも同じように視線を戻す。
懐かしい感じがする。こうやって隣に立つのは、いつかぶりだろう。
「しかし、鈍くなったんじゃないか?」
隣に目をやらずに、ふいに思いついたことを口にだす。レゾが、何のことか分からずに首を傾げた。
「昔は、俺がどんなに感情を隠そうとしても、どうやってだか筒抜けだったのに」
叔父に復讐を誓った頃から、ゼルガディスは己の感情を隠すようになった。冷静に周囲の状況を見分け、あらゆる機会を逃さないように。
だが、なぜかレゾにだけはすぐにばれた。感情を隠すことで必然的に表情も減っていったが、目の見えないレゾには関係無かった。
「あんたは、目が見えない代わりに他のモノが何でも見えていると思ってた」
ゼルガディスの指摘に、レゾはふっと口元を緩めた。苦いモノがその顔に広がる。
「あの頃の私に見えていたのは、自分に向けられる憎悪や羨望、それに人の思惑くらいですよ」
二人の視線の先で、ゼルガディスの破壊の刃を逃れた人々に対して錫杖を一閃させる。突風が、炎を巻き込み人々の命を刈り取っていく。
「私には見えていなかった。救いを求める人々の悲痛なまでの想いを。自分にかけられた希望も。何も、見えてなかったんですよ」
ふわり、と風を感じたような気がした。意識しかない世界でそんな事、あるはずも無いだろうに。周囲は相変わらず炎に包まれ、段々と小さくなっていく叫び声が響いていた。
「私は、笑いながら人の命を絶っていたんですね」
かつて見ることの叶わなかった極彩色の地獄絵を見ながら、レゾは暗澹と吐きだした。どうしても昔の自分へと目が行ってしまい、眉を顰める。その様子に、今度はゼルガディスが頬を緩めた。
「……………なあ、レゾ。俺は昔の自分の姿なんか見たくないし、思い出したくもない。けど………あれも、俺なんだ」
どぉん、と一際大きな音を出し、一番高かった建物が崩れ落ちた。そこに避難していた人を巻き込んで。その下には、両手を掲げて荒く息をついているゼルガディスがいる。
レゾが不快げに眉を寄せた。
「しかし、あれは私が……」
「手に入れた力を使い、逃げるのでは無く破壊することを選んだ。何を踏みにじっても、復讐すると心に決めた。そうして、多くのモノを壊した。全部、自分が決めたことだった」
破壊している間も、後悔はしていたのかもしれない。それでも、止められなかった。己を呪詛する声にさえ、嘲弄で返していた。
ふいに、音が止まった。
以前の時と同じように、くらりとした感覚が二人を捉え、一瞬の後に周囲が闇に包まれる。
「………昔の自分は嫌いだが、そうやって想えるのなら…。俺は二度とあそこへは帰らない」
後悔はした。
憎みもした。
けれど、どうやっても過去は消えない。
忘れる事など叶いはしない。
だが、だからこそ、自分は向こうへは戻らないと確信できる。
決然とした表情のゼルガディスを見て、レゾは驚き、ついで軽く息をもらした。知らず、息を止めていてしまっていたらしい。
「………そう、ですね。逃げても、逃げ切れるものでも無いですし」
僅かに俯いたレゾの目には、ゼルガディス以上の悲哀が込められていた。
「辛気臭いわね」
『うわ!!』
唐突に後ろから聞こえてきた声に、思わず二人は飛びずさった。そこにいたのは20代半ばごろの美女。褐色の肌、波打つ金の髪を持ち、鋭い銀色の目をした女性。肌もあらわな装束から伸びる手足が、妖艶なまでの魅力を放っている。
「何者だ」
鋭く、ゼルガディスが声を落とした。
ここは竜族自慢の封印の中。出てくるのが普通の女のはずはない。
殺気をはらんだゼルガディスの声に、女性はくすりと笑みをもらした。とろけるような、それでいて背筋に寒気を覚えるような笑み。
長くしなやかな腕を伸ばして、警戒しているゼルガディスの顔にそっと触れる。
「……好みだわ。おまけに使えそうだし」
「………………はぁ?」
かなり間を空けて、ゼルガディスが言葉を発した。女性の言った言葉の真意を量り兼ねたのだ。あっけに取られたゼルガディスの腕をとると、すっと自分の体を摺り寄せる。
「ねぇ、うちの子にならない?ちゃんと有給付けるわよ?」
「なにを?…って、うわ!」
呆然としたゼルガディスの体が、ふいに引き戻された。とんっと、背中にレゾの体が当たる。見上げると,いつに無く厳しい顔をしたレゾが女性を睨み付けていた。
「ちょっと、勧誘の邪魔をしないでくれる?」
少し不機嫌そうな顔をした女性が、レゾを睨み返した。ばちばちと、二人の間に不可視の火花が飛び散る。
沈黙を破ったのは、今までに無いほどの不機嫌なレゾの声だった。
「冗談じゃありません。この子は私の(玩具)です!」
「ちょっと待て!なんだ、今のかっこの中は?!!」
不可解なゼルガディスのつっこみを無視して、今度は女性が口を開く。
「あら、誰が決めたのそんなこと?」
「私です!」
「決めるな勝手に!!」
「あら、残念ね。うちの子とセットで並べると,結構面白そうなのに。ん〜、やっぱり攫おうかしら?」
「断る!!大体誰なんだ貴様は!」
「元気いっぱいねぇ。かわいい!」
「かわいいっていうなぁぁぁああ!!」
「誉められましたね、ゼルガディス」
「どうとったらそうなる!!」
「誉め言葉は素直に受け取るものよ?ねえ、レゾ」
「駄目ですよ、ゼラス。いくらねばってもこの子は渡せません」
「……!!!」
何気無くレゾの口から飛び出した名前に、ゼルははっと息を飲んだ。
「獣王ゼラス=メタリオム。赤の魔王シャブラニグドゥの五人の腹心の一人にして…………」
「して?」
目の前の女性、ゼラスが可笑しそうに先を促した。動揺し、呆然としているゼルガディス
を楽しそうに見つめている。
「陰険ゼロスの性悪上司!!」
沈黙が、その場を支配した。
刹那の後、上級魔族の怒りの鉄拳がゼルガディスの頭にヒットした。
←BACK NEXT→