あなたのいない世界で

3

「うそ・・・・ですよね?ゼルガディスさん?」
 自分の手を見下ろしたまま、アメリアは白いシーツを握りしめた。今聞かされた事実を、その白さで覆い隠せれば良いのに。
 その思いは、ゼルガディスにとっても同じだった。しかし、表には何の感情も現さず、ゼルガディスは小さく首を振る。
「事実だ・・・・・。アメリア、お前は病に冒されている。それも、治ることは無い、と言われている病に・・・・・」
 淡々と同じことを繰り返すゼルガディスに、アメリアはなぜか急に怒りがこみ上げて来た。この体に巣食う病は彼のせいではない。そんなことさえも忘れさせるような、焼き尽くすような怒りの炎。
「どうして!どうしてですか?!私、何もしてないのに!まだやることが沢山あるのに!!どうして、どうして・・・・・!!!」
 納得いかない。それ以上に、くやしい。激しい怒りが、理性を上回る。
「・・・・・・・・・・・・アメリア」
 取り乱すアメリアに、ゼルガディスがそっと手を伸ばした。だが、それは届く前に振り払われる。アメリア本人によって。
「アメリア」
 振り払われた手を返すでもなく、また怒るでもなく、ゼルガディスはアメリアを静かに見つめた。
 それが堪らなく息苦しくて、アメリアは置いてあった枕を掴んだ。
「出てって下さい!」
 ゼルガディスに向かって投げつける。ぼふっという音がして、ゼルガディスの胸に叩き付けられる。羽毛で作られたものだから、痛みなどあるはずもない。そのはずなのに、ひどく痛い。
「・・・・アメリア・・・・・・・・」
「いやです!何も聞きたくありません!!でていってください!!」
 拒絶の言葉を口にして、アメリアは手当たり次第に物を投げはじめた。それをまったく避けず、全て受ける。ばしゃっと、ゼルガディスの頭から水がかけられた。傍に置いてあった水受けを投げられたのだ。
 針金で出来た髪から水を滴らせ、ゼルガディスは表情を押し隠したまま彼女に背を向けた。今は、一人にして置く方が良いと考えたからだ。
 息を切らせるアメリアを一度だけ振り返り、ゼルガディスはそっと部屋を後にした。

 一人広い部屋に残されて、アメリアは再びシーツに目を落とした。
 瞼に浮かぶのは、今まで自分が生きてきた人生、そして大切な人々。咽元から、嗚咽がこみ上げてくる。
「・・・・・・っふ、・・・・・・っえ、ぅ、あぁぁあ、ああぁぁああ!!」
 自分に先はない。
 誰とも、生きて行くことは叶わない。
 夢も、愛する家族も、誰にも会えなくなる。
 理不尽にしか思えないその事実に、言いようの無い怒りがこみあげてくる。
「あぁ、う、あぁぁあああ!!」
 シーツを握り占め、自分の内の激情を吐き出すかの様に、アメリアは泣きつづけていた。


 扉の向こうから聞こえてくる嗚咽に、ゼルガディスは自分の唇をかみ締めていた。フィリオネルに乞われて、また自分自身の気持ちにもケリをつけて、彼女に会いに来たつもりだった。
 しかし、実際には自分は彼女に向かって、残酷な宣言をしただけだった。
 こんな時には特に、自分の口下手さが憎かった。
 やり切れない思いをかかえて、ゼルガディスは白いマントを翻した。
 胡散臭げな神官達の視線を無視して、俯きがちに自分の部屋へと向かう。途中、幾人かの高位の神官が声をかけてきたが、全て無視して突っ切った。どうせ、アメリアに事実を伝えたか気になっただけだろう。
 乱暴に扉を開け、同じように乱暴に閉める。大きな音に幾人かの侍従が、驚いて手に持っていた物を落とす音が響いた。
 だが、それさえも彼の耳には届いていなかった。
 閉めた扉によりかかって、固く目を瞑る。
 脳裏に蘇るのは、先ほどのアメリアの表情。怒りと、困惑に縁取られ、その思いのままに自分を拒絶した愛しい少女。
 彼女に残酷な宣言をしたとき、出来れば泣いてしまいたかった。しかし、それを彼のどこかが許さなかった。面に現れたのは、まったくの無表情。自分の淡々とした声音が、どれほど彼女を傷つけてしまったのか。
 それ以上に、感情を爆発させる彼女に、ゼルガディスは何も言う事ができなかった。
 そして、これからも,何もできることはない。
「っく!」
 溢れてくる激情を叩き付けるように、ゼルガディスは目の前にあった椅子に拳を叩きつけた。鈍い音を立てて、粉々に砕け散る。
「うぉぉおおお!!」
 机、鏡、箪笥、窓。目に付くもの全てを引き倒し、粉々に砕いていく。カーテンを引き裂き、カーペットを切り付ける。
「あぁぁ!!!」
 ほとんどの調度を破壊しても、心の波が静まらない。
 悲しい咆哮を上げながら、ゼルガディスは己の体を壁に打ち付けはじめた。
 手を。
 頭を。
 体を。
 何もできない自分を、わざと傷付けるように。
 少女の痛みを、少しでも感じとろうと。
 何度も、何度も。
 岩で出来た皮膚が裂け、傷口から血が吹き出し、崩れる壁に紅い模様を付けていく。


 数時間後。
 叫び声を聞き付けた侍従によって、フィリオネルが呼ばれた。あまりにも常軌を逸した物音に、誰もその扉を開けようとは思わなかったのだ。
 数分前に音が止んだという部屋は、妙に空々しい空気が溢れ出していた。
 フィリオネルが開けた扉の先には、吹き荒れた狂気の残骸と、その上に呆然と座りこんでいる血で汚れたの服を纏った青年の姿があった。
 その表情は俯いているために見えないが、身にまとう空気だけは感じ取れた。
 一切の拒絶と悲しみ。
 誰も触れる事のできないその空気に、フィリオネルは重々しくため息をついた。
 人は、死を乗り越えるためにさまざまな段階を迎えると言われている。それは苦しく、誰もが何度もつまづく階段。
 死を受け入れるものも、そしてそれを側で見ていくものも。同じように段階を乗り越えていく。
 彼はいま、アメリアと同じ段階に来ているのだろう。死を迎えるもの達がまず迎える『怒り』という、全てを焼き尽くすほどの業火の段階に。
 今は誰も、なにかを言える段階ではない。ゆっくりとそれを受け入れていくのは、本人たちなのだ。
 数日前、同じような激情に身を焼いた父親は、頭たれる青年に声をかける事もなく扉を閉じた。
 そして、誰も部屋に近づかないように厳命を言い渡す。
 ばたばたと離れていく臣下達の足音を聞きながら、フィリオネルは一度だけ扉を振り返った。
 扉の向こうからは、今は何の音も気配も消えていた。
 一人だけでは乗り越えられないかもしれない。しかし、二人一緒にいさせてやれば、乗り越えていける気がした。
 『死』は、迎えるものと送るもの。双方が支えあわなければ乗り越えられないものだから。
 あれから数日。
 セイルーンは表向き平和だった。
 しかし、アメリアの病状を隠している国政中央部は、必死にそれを隠していた。長期間の彼女の不在を取り繕うため、無理を押し付けたゼルガディスを再度利用する。
 すなわち『死線をともに潜り抜けた戦友を、ゆっくりともてなすため』という、苦し紛れの発表をしていた。そのおかげで、彼らは彼女を神殿から、王宮へと戻さざるを得なくなった。
 王宮には、いまだ彼女の病因を知るものは少なく、それゆえ余計に神経を使う。その上、病状を知らされたばかりのアメリアは、情緒がやや不安定だった。
 いつもの笑顔がない代わりに、物思いに沈んでいたり、旅装束を手にとっていたりする。そうしていれば、自然人の関心を引いてしまう。
 そのため、上層部そのままアメリアを人里離れた療養地に移す事にした。一番反対したのはフィリオネルだったが、国情を知られるわけにはいかないという説得に、しぶしぶ同意した。そして、ゼルガディスに彼女の世話を頼んだ。
 あの日以来、ゼルガディスは毎日アメリアの元に足を運んでいた。最初は泣いてばかりいたアメリアも、次第にゼルガディスと話すようになった。ゼルガディス自身は、アメリアと話した後も夜遅くまで、いろいろな書物を読み漁っているらしい。
 何でもない風に装う彼の態度を、フィリオネルは痛々しく感じていた。しかし、自分もそう変わらないだろう事に気づいて苦笑をもらす。
 今日、アメリアはセイルーンを後にする。


 簡素な馬車が人目を避けるようにして山へと入っていく。
 随員も少なく、荷物も少ない。というより、荷物はすべて馬の上。随員も、アメリアの馬車に乗っているメイドが二人と、荷物を運ぶ男だけだ。馬車の御者は日雇いで、今日を限りに解雇と決まっている。
(まるで、夜逃げだな)
 馬に跨ったゼルガディスが、マスクの下で薄く笑った。
 そして、後ろについてきている馬車を振り返った。彼女が元気なら、あんな狭い箱の中にはじっとしてはいないだろう。ここ数日で少しづつ落ち着いてきているとはいえ、いまだ以前のような明朗さは望めない。
 今の彼女の疲れやだるさは、病気によるものより精神的なものの方が大きい。それは無理に消せるものではないし、消そうとも思わない。無理強いすれば、余計にひどくなる事は常識だった。
 フードの隙間から空を見上げる。
 こんな気分にはふさわしくないような澄み切った青い空。
 こんな空の下、もう一度彼女の笑顔が見れるのなら・・・・・・・・・。
 ゼルガディスは軽く目を細めた。照りつける太陽が、まぶしすぎた。


 ぎーーー。
 馬車の車が軋みを立てて止まった。
 目の前にはこじんまりとした門。さすがに手入れが行き届いていて、山奥に自然と溶け込む造りの館だった。
「着きましたぜ」
 御者の男が幌の中に声をかける。その声に反応して、幌の布が持ち上がった。
「さあ、お嬢様。着いたそうです」
「まいりましょう」
 付き従っていたメイドが、中にいるアメリアに声をかける。セイルーンの姫とわからないように、二人とも彼女の事を"お嬢様"と呼ぶようにしている。
 しばらく待つが、誰も降りて来ない。中で何かを言っているようだ。
「どうした?」
 馬から下りたゼルガディスが、手綱をもう一人の男に預けながら馬車に声をかけた。
「それが・・・・・」
 メイドのうち年配のほうが、困惑気味な顔を馬車から出した。それに続き、短い黒髪の少女も顔を出す。
「ゼルガディスさん」
「どうした?」
 最近やっと落ち着いてきた少女の声に、ゼルガディスが馬車に近づく。ふわりとアメリアが両手を広げた。
「なんだ?」
「つれてってください」
 唐突なアメリアの言葉に、ほぼ条件反射のようにゼルガディスの顔に朱が上る。が、それは顔を半ば以上覆い隠すフードとマスクのために、他の人間にはわからなかった。
 いや、アメリアにだけはわかっているかもしれない。ほんの少しだけ、楽しそうに瞳をくるくるさせる。
「いやなら、御者さんにでもお願いしますけど・・・・・」
「・・・・・・・・・わかった」
 軽くため息をついて、ゼルガディスはアメリアの体を抱き上げた。長いスカートの裾が、ふわりと風になびく。
 セイルーンの王宮なら、決して二人はそうはしなかっただろう。彼の立場と彼女の立場。二つがそれを邪魔していた。
 皮肉にも、彼女の病がそれを取り払った。
 風さらわれる黒髪を片手で押さえて、アメリアはまぶしそうに空を見上げた。
「空・・・・・・・・、青いですねぇ」
「そうだな」
 答えて、ゼルガディスは立ち止まった。
 二人そろって空を見上げる。
 少しだけ雲の出てきた空に、ゆっくりと円を描く鳥が見える。
「お日様・・・、久しぶりに見ました・・・・・・・・」
「・・・そうか」
 アメリアが、まぶしそうに目を細めてゆっくりと口元に笑みを刻んだ。
「風がおいしい・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・ああ」
 アメリアの微笑を見て、ゼルガディスは泣きたくなった。
 どうしてこんな時の笑顔が、こんなにきれいなのか。これでは、まるで死を看取る気分になる。
「・・・・・また外に連れてってくださいね、ゼルガディスさん」
 ふわりと微笑んだ少女に、ゼルガディスは目だけで笑い返した。このときほど、自分の格好を感謝した事はなかった。マスクとフードがなければ、泣き笑いの自分の顔が、陽光にさらされ彼女にはっきりとわかってしまっただろうから。
「そうしよう」
 答えを返して、ゼルガディスは門に向かって歩き出した。
 彼女を看取るための家が、そこには用意されている。


 屋敷に入る二人の姿を、年配のメイドは眉をしかめながら見ていた。
 たった数分しか見ていないあの光景が、瞼に焼き付いて離れない。それは、主君に不貞な男が近づいているからではない。逆なのだ。二人の思いがわかるからこそ、痛ましく見えてしまう。
「仲のいい新婚さんだぁな」
 同じように二人を見ていた馬車の御者が、好々爺の笑みを浮かべて声をかけてきた。何も知らない人には、やはりそう映るだろう。
「ええ、そうでしょう」
 なるべく感情を表に出さないように微笑みながら、彼女は彼に報酬の入った皮袋を手渡した。
「ご苦労様。あ、あとこれを」
 そういって、懐から小銭を数枚その手に追加する。
「なにか用かい?」
「たいした事ではないわ。ここでは祈る場所がないから、私の代わりに祈っておいてほしいのよ」
「なにを・・・・・?」
 受け取った報酬と小銭をしまいこみながら、男が尋ねた。
 メイドが、ゆっくりと空を見上げる。
「そうね。あの二人に幸せを・・・・・・・・・」
 その言葉に、男が口を緩めた。
「十分幸せそうだがねぇ。ま、これからの新婚さんの幸せをやっかみながら、祈らせてもらうよ」
 大きく口をあけて笑うと、男は馬車の手綱を引き絞った。高い馬のいななきを残し、ゆっくりとそこから離れていく。
 その後姿が遠く消えたころ、メイドはもう一度空を見上げた。
 雲が増えてきた空に、両手を組む。
「幸せを・・・・・・・・」
 誰に願っているかもわからない祈りは、誰が聞き届けるのだろうか。

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