あなたのいない世界で
6
数年後…………――――
アメリアの祖父が逝去した。
何年も寝たきりで国務の全てはフィリオネル王太子が全権を掌握していたので、政治的には大して混乱もなかった。
しかし大国の国王が無くなったため、盛大な国葬が催されることのなった。各国の代表が弔いに訪れ、セイルーンはしめやかな空気が流れるも常よりも活発になっていた。
その中心たる、セイルーンの城。
そのまた奥にある王族たちの居室の一つで、黒髪の女性が黒いドレスに身を包んでいた。
濡れるような艶やかな髪をアップにし、黒のベールを視界の邪魔にならないように頭の上に上げている。憂いを秘めた瞳は濃紺。海の深い部分を思い出させる。
セイルーンの第二王女にして、今回崩御したエルドラド国王の孫娘。アメリア=ウィル=テスラ=セイルーン。
彼女が死の淵から回復し、既に5年の月日が流れていた。
幼さを残していた顔立ちはすっかり女性となり、手足もすらりと伸びている。21歳と言う年齢から見ればやや幼さが感じられるものの、万人の目を引くだろうと思われる。
窓際に椅子を引き出し、それに腰掛けている。
ガラスの向こうに見える人々を見ながら、こつんと窓に額を預けた。
「………お爺様…………」
記憶が無くなって5年。祖父には何回もあったし、何度も話しをした。死に向かって突き進んでいた孫の回復を喜び、寝たきりでありながら気分のいい時は良く彼女を呼んでくれた。
しかし、アメリアの記憶は5年前に新たに始まったのである。だから、喜びを表してくれる老人に好意を持ちながらも、肉親としての愛情と言うものが中々沸かなかった。
死に顔を見ても、寂しい感情はあっても胸が張り裂けそうな悲しみは無い。肉親が死んだにしては、あまりに希薄な感情だった。
記憶が無いと言うことは、それまでの人生で培ってきた感情をも失うということである。それは、この5年で痛感している。
故郷も、家も、何もかもがしっくりこない。体が覚えていることも確かにあるのだが、感情が追いつかないのだ。全てが希薄で、不安ばかりが強くなる。
ゆっくりと、アメリアは瞳を閉じた。
ここ数日、葬儀のためにろくに睡眠をとっていなかったのだ。一気に眠気が襲ってくる。うつらうつらと、体が揺れる。
いつまでも慣れない王族としての生活にも、疲れていた………。
生きていることにも、疲れていたのかもしれない。
夢の中で夢を見る。
毎日政務の勉強をし、結婚話を持ち出される自分。
重苦しくのしかかってくる"義務"という名の拘束。
それに縛られながら、夢を見る。
愛されながら生きることを。
愛しい人の腕の中で、笑うことを。
夢の中で夢を見ている私は、生きているのだろうか?
記憶が無いことは、"私"がないということ。
今私が見ている夢は、"私"の夢なのか?
それとも、5年分の『私』なのか。
わからないままに夢を見る。
その夜、遺体を墓に収めるための式典が催された。最後の別れになるその場で、アメリアは棺桶に眠る祖父に花を手向けた。
華麗な棺桶に横たわるその人は、この5年で慣れ親しんだもの。
真っ白い花に囲まれて、穏やかな顔をしている。呼吸をしていれば、ただ眠っているだけにしか見えない。
祖父の最後は、親族に見守られながらだった。醜い権力闘争で近親者の幾人かは謀殺されたり事故で死んでいたりするが、それでもそこにいるもの達は皆、祖父を静かに見守っていた。
そんな中で、祖父は静かに息を引き取った。
満足げな表情さえ浮かべて。
それは、愛するものに看取られていく満足さか。
それとも、長い病床で『死』を覚悟したゆえでの穏やかさか。
かつて自分もあのような表情をしていたのだろうか。誰かにそれを向けて。
祖父に対して、結局肉親の愛情は持てなかったのかもしれない。しかし、胸にはたとえようの無い寂寥感が漂っている。
自分の心にぽっかりと穴が開いたような、うつろな感じ。自分でさえそうなのだから、父や叔父の悲しみはいかばかりなのか。
アメリアは、手向けた花を見つめながらため息をついた。そして、次の人に場を譲るべく親族の列への帰る。
生き残った人は、これからこの悲しみを抱えていかなければならない。
(私が死にそうだった時、誰かをこうして悲しませてたのかな・・…・…)
父親は間違いなく、悲しんでいただろう。それは分かるし、祖父も心配したに違いない。
(私を助けてくれた人も・・・…・…)
5年経った今でも、自分を救ってくれた人がわから無い。一体どうやって病を治したのか、どうして黙っていってしまったのか。そして、なぜ自分の前から姿を消してしまったのか。
その人は、自分の事をどう思っていたのか。
記憶を失ってから、まず初めに興味を持ったのはその人についてだった。それは今でも変わらない。
もしかしたら、ずっと婚姻を拒んでいるのはそのせいかもしれない。
恋では無い。多分・・…・…。
ただ、気になるのだ。
時折耳に響く低い声。同時に浮かぶ、かすかな人影。
全ての記憶は失っているはずなのに、見た事も聞いた事も無いはずの人の姿が浮かぶ。
自分の考え事に熱中していたため、アメリアは気付かなかった。
目の前の花を掲げ持ってくる人の中に、不自然な動きをする者がいる事を。常ならば気づいたに違いなかった。
漆黒の礼服を身に着けた男は、どこかその服を着こなせていなかった。慣れない物を着て、動きが不自然になっている。花を持っていない片手が、ゆっくりと懐に沈む。
アメリアが気づいた時には、既にその男は目の前に迫っていた。
目の前を過ぎて、懐から手がでる。
その手に光る、鈍く輝く薄刃の刃。
その先にいる人は、じっと棺桶を見つめているので気づいていない。
とっさに、足を踏み出す。
一歩踏み出し、また一歩。
気づいた時には、その男とその人の間に体を滑り込ませていた。
とん
小さな衝撃が、体を震わせた。
「と、う……さん」
その声に、フィリオネルが振りかえった。
「アメリア!!!」
倒れ掛かる娘の体を支え、フィリオネルがその名を叫ぶ。
そのただならぬ声に、初めて回りの人間が気づいた。
アメリアを支えるフィリオネルの手に、べっとりと赤い血がつく。黒い服で目立たないが、その腹部から止めど無く血が溢れ出している。
その血を見とめて、幾人かの貴婦人が悲鳴を上げた。それを合図のように、建物の影から幾人もの黒服の男達が飛び出してくる。その手には、くすんだ光を放つ長い刀。その不気味な輝きに、悲鳴が空気を震わせた。何人もの衛兵達が人垣を掻き分けて、貴賓を守ろうと立ちまわる。
セイルーンは大国中の大国。その王位や混乱を求めて、誰かが謀ったのだろう。いま、次代の国王たるフィリオネルを討てば、まず間違いなく内部闘争が起こるのだから。彼が死ねば、次に昇るのは少し元気のよすぎる奇抜な発想が目立つ第一王女と、記憶を失い王族としては幾分力の衰えたと見られている第二王女。
他の近親者や、近隣国の影響力の増大が狙われるのだ。
しめやかな葬儀の場が、一気に修羅場へとかわった。
黒服の男達は、人ごみを掻き分けるようにしてセイルーンの実力者に迫っていく。それを守るべく、太刀を振るう衛兵達。
鮮血が飛び散り、壁や床に華開かせる。
その騒ぎの中心で、フィリオネルがアメリアを抱えたまま呆然としている。どくどくと血が溢れる傷口を抑え、必死で名を呼ぶ。
「アメリア!!なぜ、わしを庇ったりした!アメリアぁぁあ!!」
失血のために真っ青になったアメリアの頬に手を添える。
「と…さ……」
紫になった唇がわずかに震え、言葉を紡ごうとする。
「黙っておれ。すぐに治る。治るから!」
白魔術の使えない自分の身を、これほど呪ったことはなかった。アメリアを抱え、フィリオネルは必死で辺りを見渡す。
混沌とする周囲では、まだ侵入者達が我が物顔で暴れまわっている。
「誰か!神官はおらぬか!!」
雷のように轟くが、嵐の真っ只中のような部屋の騒ぎで誰も反応できない。
悔しさに歯をかみ締め、フィリオネルはアメリアを抱きしめた。
まだ5年しか経ってない。この子が命を取りとめて、まだたったの5年だ。どうやって回復したのかわからないが、あの青年がなにかしたのは間違いないと確信していた。それは、彼女の前から姿を消さなければならないほどの事だった事も。
その苦しい想いから彼女を返してもらって、まだ5年。
どうしてここで、また命を消さなければならないのか。
「アメリアぁああ!!」
やるせなさを、フィリオネルはその声量に込めて叫んだ。
父の声が遠くに響く。
周りの喧騒が遠い世界の出来事のように、アメリアには感じられていた。
指先の感覚がなくなっていく。視界がかすみ、世界が揺れている。今自分がどういう態勢でいるのかもわからない。
熱に冒されたように、体が熱い。
現実感のない頭の中で、先ほどかすかに聞こえた父の言葉を反芻する。
『アメリア!!なぜ、わしを庇ったりした!』
なぜ?
それは自分でも分からなかった。
気づいたら体が動いていた。怖さとか、死の予感とか、そんなものを考える余裕はなかった。
そうする事は、昔から決めていたみたいに体が動いてしまったのだ。
もしかしたら、これが"体が覚えていた"事かもしれない。
けれど、しっかり考える時間があったとしても、きっと自分は同じ事をしていたと思う。だって、庇ったのは自分の父親だもの。
記憶をなくすということは、一つの生まれ変わりみたいなものかもしれない。昔の自分が全く分からず、不安を抱えながら新たな自分を獲得していく。
アメリアであって、違うアメリア。
けれど、父と認めた人は同じだった。だから、体が庇ったのかもしれない。
自分思いに満足して、アメリアはかすかに微笑んだ。それが面に出たかどうかは分からないけど。
彼女は初めて、生きていた事に満足していたのかもしれない。
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