第101号 2020年1月5日発行
尾崎放哉生誕記念行事
放哉講話
 吉村昭が見つめた尾崎放哉
-小説『海も暮れきる』に描かれた生と死-


【講 師】吉村昭記念文学館学芸員 深見美希さん
【日 時】令和2年1月18日(土) 13時30分から15時
【場 所】中央公民館2階 中会議室
【入場料】無料
【問合わせ】小豆島尾崎放哉記念館 (電話)62−0037(水曜日休館)


平成六年四月七日                  記念碑除幕式での吉村夫妻
記念館落成記念講演での吉村昭氏
吉村昭さんとは???
作家。昭和2年(1927)〜平成18年(2006)。10人兄弟の8男として東京都荒川区で生まれる。中学生の時に肺結核を発病。その7年後病状が悪化し左肋骨5本を切除する手術を受ける。 この間、両親を亡くし五兄は戦死、家も空襲で失った。自らの病と家族の死、戦時体験と戦後の風潮の急激な変化は、若い吉村の脳裏に深く刻み込まれ、小説家を志す動機となった。
昭和25年(1950)、学習院大学に入学。文芸部で創作活動を始める。昭和28年(1953)、北原節子と結婚し、ともに、同人雑誌に参加。実体験を反映した生≠ニ死≠凝視する短篇小説を執筆する一方、取材や調査に基づく作風も磨く。四度に及ぶ芥川賞候補を経て一途に書き続けた日々は、昭和41年(1966)、第2回太宰治賞受賞に結実。敗戦を機に一変した日本人の態度に違和感を持ち、戦争を通して人間の本質を探るべく、昭和41年『戦艦武蔵』を発表(第21回菊池寛賞)。全国各地に証言を求め、文献と照合する手法はその後の戦史小説にも活かされたが、証言者の減少を感じ、戦史小説の筆を断つ。その後、江戸明治期を中心とした歴史小説を書き始める。医学、漂流、幕末維新、開国、外交など多岐にわたる題材で次々と作品を発表。昭和54年『ふぉん・しいほるとの娘』で吉川英治文学賞、平成6年『天狗争乱』で大佛次郎賞を受賞する。 幼少の頃から身近に死を感じる体験は吉村文学の根底をなすものだった。 文学への初志を貫き、生涯死≠ニ生≠主題に人間の本質を探究し続けた。
《吉村昭記念文学館常設展示図録より》
 
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青色字 お茶会日
赤色字 町広報・放哉だより発行日 
紫色字 記念館休館日
茶色字 図書館休館日
あけましておめでとうございます
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
1月20日は135回目の生誕日です。当日は記念館は入館料無料です。18日の『放哉講話』も皆さまお誘い合わせのうえ、ぜひお越しください。
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