この全集を編むための調査の結果、新聞や雑誌への投稿句が多数確認された。埋もれていた句も含めてすべての放哉句を初出の句形で発表順に掲載。 さらに残存する膨大な句稿も併録した初の本格的句集。この他、書簡・短篇・随想・日記など、放哉のすべてを収録した「放哉全集」となった。
内容紹介
第一巻 句集
定型俳句時代 自由律俳句時代 句稿1 句稿2
放哉は生前に句集を持つことはなかった。没後すぐ、荻原非泉水によって句集『大空』が編まれ、広く愛唱される放哉はほとんどこれによる。
然るにこの全集を編むための調査の結果、新聞や雑誌への投稿句が多数確認された。それは大正三年ころまでの定型句でも、以後の自由律の句についても同様である。埋もれていた句が新たに見出されるということは、放哉の句を全面的に読むことはできなかったということである。この巻では、すべての放哉句を、初出の句形で発表順に掲載する。
さらに、残存する膨大な句稿も併録する。井泉水主宰の『層雲』ヘの句稿として井泉水宛に送ったもので、これまでにその一部が幾人かの手にあり、存在は知られていたが、一九九六年七月、二七二一句にのぼる句稿が荻原家からまとまった形で発見された。
全句と句稿を併せ、放哉『句集』としたこの一巻は、多くの読者に瞠目して迎え容れられるに違いない。
第二巻 書簡集
放哉の書きつづった書簡について、これは一級の文学であるといち早く喝破したのが井泉水であり、没後、間をおかず『層雲』誌上で書簡の提供を呼びかけ発表した。書簡文学の系譜に連なる雄峰と言えるものであろう。
俳人放哉はまた一面、手紙の人でもあった。就中、小豆島へ渡ってからは、独居無言と言いつつ、おびただしい書簡を発し、返書を求めた。多いときは一日に三通も同一人に書き送ったりしている。閉ざされた空間に小さく小さく穿たれた、世界への窓のようなものであった。
第三巻 短篇・随想・日記ほか
短欧・短篇・簡想・日記アルバム影印
回想(尾崎並子・沢芳街1森田美恵子・荻原井泉水他)書簡(放哉あて他)
年譜 文献目録 俳句索引
鳥取県立第一中学校の校友会誌『鳥城』掲載の短歌、随想や、第一高等学校の校友会雑誌に書いた「俺の記」、これまで埋もれていた同誌「非同色」などの小文、草稿「夜汽車」「無量寿仏」、「層雲」に寄せた、小豆島生活の一端を描く「入庵雑記」、簡単な日録ながら最晩年の姿をいきいきと紡佛させる「入庵食記」などを収録。他に参考資料と俳句索引、年譜などを収める。
書評
坪内稔典 朝日新聞平成13年12月16日付「日曜書評欄」より
「障子あけて置く海も暮れ切る」は尾崎放哉の代表句。ところが、この句、原作は「すっかり暮れ切るまで庵の障子あけて置く」だった。これはだらっとして潔さを欠く。添削したのは放哉が師事した荻原井泉水。
この「放哉全集」第一巻には、井泉水に送られた放哉句二千七百余りが収録されている。私たちが知っていた放哉句は、その句稿から井泉水が選んで発表した一部の作品だった。しかも、井泉水はしばしば大胆な添削をしていた。
というわけで、この全集によって放哉像が変わるだろう。有名な「咳をしても一人」「月夜の葦が折れとる」などの孤独感の強い句は、実は放哉の一面。井泉水の選句や添削を通して、つまり、井泉水との共作において、放哉は自己を他者に開こうとしていた。
句稿ではさきの障子の句の後に、「沢庵のまつ黄な色を一本さげてきた」がある。井泉水は採らなかったが、とても人懐っこい風景だ。
各氏の推薦のことば
孤独の有り態
金子兜太
放哉は、会社づとめに失敗し、病いにもとりつかれて、社会から完全に脱落した、いわゆる東大出エリートだが、その自由律俳句や書簡などによって、息のつまるような失意と諦め、抑えきれない我執とのあいだをうろつく、孤独の有り態を承知することができる。今回発見された二千余句によっても、その態さらに如実のはず。
放哉全集
稲畑汀子
放浪の俳人尾崎放哉。ホトトギス、国民新聞等で素晴しい俳句を発表し、東大を出て若くして保険会社本社課長となり乍ら飲酒癖で追社。再起もことごとく失敗、一燈園での奉仕の生活に心の救いを求めても徹し切れず、寺男を転々として孤独と貧苦と病苦に苛まれて死んだ放哉。その中で詠われた極限の淋しさは、我執と素直さと弱さを同居させた一個の知性の魂の叫ぴであるが故に現代人の胸に突き刺さる。
光明を見る
吉村昭
二十一歳の冬に三度目の肺結核の発症をみて、末期患者となった。絶対安静の身で、私は初めて尾崎放哉の句にふれた。一句一句が私の内部に深く食い入り、死の追った間の中でかすかにゆらぐ光明も見た。死んだ折には、放哉の句集を棺におさめて欲しいと弟に頼んだ。幸いにも実験に近い手術によって死をまぬがれたが、その後も放哉の句は、私と共にある。死とはなにか生とはなにかという問いがそれらの句にあって、私は放哉を主人公とした「海も暮れきる」という小説も書いた。
俳句の極北ー放哉
上野千鶴子
捨てても捨てても、なお捨てきれぬ思いが句となってこぼれおちる。五七五の韻律や季語の約東ごとをおのずからはみだし、食い破る。これが表現というものであれば……わたしも生きていける。そう思った二十代のわたしにとって、放哉は生きるよすがだった。
極限の短詩型、ことばのミニマル・アート。日本語が放哉を持ったことを、わたしは誇りたい。