第124号 2021年12月5日発行
南 郷 庵 に 入 庵 す る ま で
南 郷 庵 に 入 庵 す る ま で (終)
 放哉は入庵にあたり、玄々子に「私一人で、小生「普山式」一人で喜びつゝ(ビール一本祝申候)呵々」と書き送っています。彼の望んだ文字通りの心身一切―全く無一物の生き方に無条件に浸る事が出来ました。この日から放哉の生活がはじまりますが、これからの自分の心のおもむくままに、全く他からの制約から開放された事に無常の喜びと感謝の気持を述べています。
  しかし入庵したものの、一二の話で「庵の1年の収入は必要経費を差し引いて五十円位…」と聞かされ、「それでは生活出来ぬ」とゴタゴタしたようで、その心配や鬱憤を井泉水に訴えています。この問題は後に、井泉水と一二、玄々子と三人で話し合い、不足分は援助し何とか生活出来るようにするからと解決しましたが、放哉はヤケ酒を飲み玄々子からたしなめられるという事もありました。  入庵に際しては紆余曲折あり、また、入庵後も多々ありますが・・・。井泉水はじめ、一二、玄々子のあたたかな援助を受け、南郷庵での生活をはじめる事となりました。 終

【放哉研究紀要/井上泰好】より
 放哉の「無一物無尽蔵」の特異な生き様や、身じろぎもしないで死を見つめていた事が定型の俳人も含めて共感を呼んだ事も否定出来ない。また一二や玄々子や多くの友人に物心両面で迷惑をかけ、時には非社会的でありながら、なおかつ許されていただけでなく、多くの支援者、後援者を得ていたのは、放哉が選んだ自由律俳句という文学形式の中で健康に生きつづける事が出来たからにほかならない。 特に小豆島での生活は師の井泉水のたゆまざる庇護、裏切られても裏切られても一二、玄々子の暖かな援助がそれを支えていた事も大きな要因であり、それであるからこそ孤独の中で感受性が研ぎ澄まされ、放哉の俳句はやり切れない思いや後悔、ぼう漠たる淋しさをさらりと表現出来た
現在、記念館・資料館では新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、以下の対策を実施しております。ご協力よろしくお願いいたします。
・マスクの着用 ・換気のため、出入り口および窓の開放。
・アルコール消毒液(館内に設置しています)での手指消毒または手洗い
・受付での記帳(住所・氏名・電話番号(緊急連絡先))
 
12
  10 11
12  13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
紫色字 記念館休館日
茶色字 資料館休館日
今年も大変お世話になりました。
ありがとうございました。 来年もどうぞよろしくお願いいたします。くれぐれも体調には気をつけて、どうぞ良いお年をお迎えください。

年末年始の休館日
小豆島尾崎放哉記念館
12月28日(火)〜1月5日(水)
土庄町尾崎放哉資料館 
12月29日(水)〜1月3日(月)
前ページへ戻る