Q2・放哉さんの家族は?
A.父・信三35歳、母・なか29歳の時に放哉は生まれ、6歳上に姉・並さんがいました。
明治44年、放哉26歳の時に坂根馨19歳と結婚しました。子どもはいません。朝鮮の保険会社を辞め、日本に帰って来てから別居しました。その後、亡くなるまで約2年半、会う事はありませんでした。
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Q3.なんで土庄でたくさん句を作ったんですか?
A.放哉は海が好きで、小豆島の事をとても気に入っていました。病気が進行し、俳句仲間に京都の病
院に入院するよう勧められても頑なに拒んでいました。そこには、最期はここで迎えたいという思いがあったからです。
約2年間いろいろなお寺を渡り歩き、やっと自分に合った居場所『南郷庵』を見つける事が出来ました。俳句仲間や友人、島の人々に物心両面で支えられ、落ち着いた生活が出来るようになった事で、より一層集中して俳句を作れるようになりました。小豆島では約8ヶ月の間に、2、271句作りました。
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Q4.どんな句を詠みましたか?
A.小豆島で作った代表的な句では、「咳をしても一人」「障子あけておく海も暮れ切る」「入れものが
ない両手で受ける」「眼の前魚がとんで見せる島の夕陽に来て居る」、が挙げられます。特に「咳をして
も一人」は句碑になっている数が多いので、尾崎放哉≠ニ言えばこの句、と思われる人も多いと思い
ます。
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これらは先日、小学4年生の皆さんからお寄せいただいた質問です。まだまだありますので、次号に続きま〜す。疑問・質問、気になった事は何でも聞いてくださいね。いつでもお待ちしています!
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10月8日から秋会期が始まります。
瀬戸内国際芸術祭2016、今会期が最後!また新たに、4つの島でアート作品が公開されるようですね。"芸術の秋"を楽しみましょう。
今月のお茶会は石井鈴代先生です。都合により変更しています。
赤色 とのしょう広報発行日 紫 休館日
茶色 図書館休館日 16日 お茶会日
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