第63号 2016年11月5日発行
尾 崎 放 哉 Q&A
尾崎放哉Q&A
Q1.放哉さんはなぜ土庄(小豆島)に来たの?
A.高校時代からの友人であり、俳句の師匠である荻原井泉水に紹介され、小豆島にやってきました。井泉水は以前小豆島を訪れた事があり、その時に西光寺住職・杉本玄々子や井上一二と知り合っていました。その縁を頼りに、小豆島へやって来ました。※以下↓、放哉が井泉水に、どこか住める場所が無いか依頼しているハガキの内容です。
大正14年7月31日付 井泉水あてハガキ(一部を抜粋しています)
・淋シイ処デモヨイカラ、番人ガシタイ。
・近所ノ小供ニ読書ヤ、英語デモ教エテ、タバコ代位モライタイ。
・小サイ庵デヨイ。
・ソレカラスグ、ソバニ海ガアルト、尤ヨイ、・・・済ミマセンガ、タノミマス、・・
Q2・放哉さんの家族は?
A.父・信三35歳、母・なか29歳の時に放哉は生まれ、6歳上に姉・並さんがいました。
明治44年、放哉26歳の時に坂根馨19歳と結婚しました。子どもはいません。朝鮮の保険会社を辞め、日本に帰って来てから別居しました。その後、亡くなるまで約2年半、会う事はありませんでした。
Q3.なんで土庄でたくさん句を作ったんですか?
A.放哉は海が好きで、小豆島の事をとても気に入っていました。病気が進行し、俳句仲間に京都の病 院に入院するよう勧められても頑なに拒んでいました。そこには、最期はここで迎えたいという思いがあったからです。
約2年間いろいろなお寺を渡り歩き、やっと自分に合った居場所『南郷庵』を見つける事が出来ました。俳句仲間や友人、島の人々に物心両面で支えられ、落ち着いた生活が出来るようになった事で、より一層集中して俳句を作れるようになりました。小豆島では約8ヶ月の間に、2、271句作りました。

Q4.どんな句を詠みましたか?
A.小豆島で作った代表的な句では、「咳をしても一人」「障子あけておく海も暮れ切る」「入れものが ない両手で受ける」「眼の前魚がとんで見せる島の夕陽に来て居る」、が挙げられます。特に「咳をして も一人」は句碑になっている数が多いので、尾崎放哉≠ニ言えばこの句、と思われる人も多いと思い ます。
これらは先日、小学4年生の皆さんからお寄せいただいた質問です。まだまだありますので、次号に続きま〜す。疑問・質問、気になった事は何でも聞いてくださいね。いつでもお待ちしています!
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瀬戸内国際芸術祭2016秋会期が11月6日をもっておわりました。今会期はたくさんの方々が参加頂きました。
今月のお茶会は11月20日です。都合により変更しています。
赤色 とのしょう広報発行日 紫色 休館日 
茶色 図書館休館日 お茶会日 20日
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