小説 暗の底握りつめ 井上康好作(放哉南郷庵友の会会員)
ところどころに、黒い制服を着てサーべルを腰に吊った巡査が立ち、チラチラと聴衆に目をやっていたが、足元から這いあがってくる寒気に、時々足を踏みならしていた。
演壇の前に、海軍の制服を着た大柄な将校が、つかつかと歩み寄り、両足を少し開いて手を後ろに組んだ。
「諸君、これから西田天香先生の講話がある.先生は現在京都の鹿ヶ谷というところで、托鉢、奉仕、繊悔こ亘とした、一燈園という共同生活体を開いておられる。
また、大正十年七月には「繊悔の主活」という本を出版されておる。今からく転機〉という演題で講話をされる。目をしっかり開いて、一言なりとも洩らさず聴き、明日の糧とするようにしてほしい。終り」
将校は軍靴をカチッと合わせると、廻れ右をして袖に去っていった。
代って天香が静かな足どりで演壇の前に立ち、頭を下げた。「大変なお仕事、毎日ご苦労さまでございます。私の話が、ここ舞鶴海軍工廠で働く皆さん方のために、少しでもお役に立てば幸と存じます。どうか姿勢を楽にしていただいて、気楽な気持でお聴きください
今から「生きようとするには死ね」というような事について、お話しをいたしますが、その前に、わが一燈園が提唱していますお光というものについて、少しお話しをしたいと思います。
一燈園では、およそ人間をあらしめている超越者を総称して、おひかりといい、光という字を充てますがー西洋と日本、キリスト教と仏教との相違こそあれ、お光をうけた実生活を、すべての宗旨がそのままで仲良くしている事が出来ます。また、神様、仏様、大道というような事も、私共の立場では、光と申しておりますーー」
放哉は舞台の袖で腕ぐみしながら、天香の話しを聴いていた。
それにしても寒い。京都は底冷えがして背中からぞくぞくと冷えこんでくるが、ここ舞鶴は紺の筒袖を通してへ全身が痛いほどの寒さであった。
放哉はぶるっと身ぶるいすると、通用ロから外に出た。空はどんよりくもり、その暗い中から、小雪がチラチラ舞い降りて肩にかかった。海の色はにび色で、錨を下ろした躯逐艦が数隻、黒々と鎮座していた。
放尿を済ませると海の方へ歩いてみた。土の盛り上ったところは雪が氷り、低いところはぬかるみになっていた。
放哉は海が好きであった。どんな海でもよかったが、本当はおだやかな青い海で、汽船か何かが外海を通り、浜辺には松があり、潮騒が聞こえてくるようなところがよかった。 最初天香から、「舞鶴に講演に行くが一緒に行かないか、その後で海軍工廠の托鉢をさせて貰うとよいでしょう」、と誘われた時。即座に「ご一緒しましょう」と返事をしたのは、かって曽遊の地であった舞鶴が若狭湾添いの港で、入口が二つの半島に囲まれてはいたが、日本海に面し、その延長線上が、ふるさと鳥取の海とつながっているという、潜在意識があったのかも知れなかった。
寒気も忘れ、虚像のようにっっ立った放哉の胸の内は、来し方の放浪生活が、走馬燈のようにぐるぐると廻っていた。
大正十二年十一月二十七日、三十九才で京都鹿ヶ谷の一燈園に入った放哉は、無一物の裸一貫であった.病身を押して、死んでもいい覚悟で下座奉仕に従事したが、集団生活の煩わしさに耐え難く、ひとり孤独な生活をしてみたくて、願えれぱ寺で働きたいと願っていた。
はるけくも来つるものかな、舞鶴の海は暗い。その中に引き込まれそうなおぞましさを感じながら、それならそれもよいと思う。
人生四十年、今さら何の悔があろうか一段と激しさを増した小雪の中で、放哉はさながら地に足がついた如く、動こうとはしなかった。
「二」
天香と放哉は旅館の一室で、四角な火鉢をかかえながら、熱いお茶をすすっていた。あれから天香の講演が終わるのを待って、工廠で貸してくれた一本の傘に、互に半身を入れあいながら帰った旅館は、中舞鶴花木通りのほぽ中央にあった。
あたりは工場と工員の寮が立ち並んでいたが、この旅館は、海軍関係の集会所として利用されているため、割と小綺麗なたたずまいであった。
天香はふっと目をあげ。尾崎さん、あなたが一燈園に来られてから、も二か月になりますね、その後お体の具合はいかがですか、下座奉仕も大変でしょうからーー」
こう言ってまた茶をすすった。
「ええ、まあ、私には肋膜炎という業病がありまずが、死ぬなら死んでしまえと、開き直って見ますと、今のところ別に異常はないようです」
放哉は、こうは言ってみたものの、実際に下座奉仕は力仕事が多く、四十才にもなると肉体的にもきついのは事実であった。
「そうですか、あなたはかりにも帝国大学出の法学士さん、辛いでしょうが顧張ってください。ご存知のように、光明祈願の第一条に「不二の光明によりて新生し、許されて生きん」とあります.下座は却って上座であって、一切を成就することが出来る最高の場所です」
淡々と話す天香のおだやかな温顔は、開拓事業で挫折し、妻子を捨てて思想遍歴の旅に出て苦闘した、かっての面影は見られなかった。
「それはそうと尾崎さん、あなたは私が各地をまわって、講演する事をどのように考えておられますかー」
思い出したようにこう聞いた天香に
「率直に申しあげますが、私は非常に面白くないのです。少くともあなたは、一燈園の西田天香師です。じっとしてどんと座っておられる方がお似合いですし、私はその方が好きです。また、師が書かれた「繊海の主活」は、人々に感銘を与える名著だと思っておりますが、書くことは不必要で、シャべル事は蛇足だと思いますー。ズケズケ申しあげましたが、私は常に師を尊敬し、長敬の念を持っている事に変りはありません。どうかご理解くださいー」
放哉は一気にこう言い切って、深と頭をさげた。
「そうですか、ありがとう.あなたの言っている事も真実だと思います。私も好きで講演をしたり、本を書いている訳ではありません。 一燈園に来られない農民の方、勤労者、家庭婦人の方など、お光のまことを知らない方がまだ大勢います。その方達のためにという事もありますが、尾崎さん、世の中は変ってきています。軍の要請もありますし、時代の流れに逆らう事がいいのか悪いのかー」
天香はふっと溜息をついて天井を見上げたが、思いなおしたように「それはそれとして尾崎さん、私は明朝京都に帰りますが、予定どおりあなたは残っていただいて、托鉢をお願いします。さあ、もう夜も更けました。休ませて貰いましよう」
天香はこう言って窓辺に立った。
「相変らずよく降っています」
放哉が電燈を消した後も、天香は何かに憑かれたように、窓際から離れなかった。
「三」
翌日放哉は天香を停車場まで見送り、その足で舞鶴海軍鎮守府に行き、托鉢のあいさつをした.
舞趨鎮守府は明治二十二年、鎮守府条令により設置されたが、軍縮のため大正十二年、放哉が訪れてからしばらくして廃止された。
相変らず小雪が舞っていた。宿の人に聞いたところによると、一月から二月は毎日こんな天気で、晴れる日はわずかしかないとの事であった。空を見上げ眉をしかめた放哉は、「成程、鶴が懇うように白い雪が空から落ちてくる.それで舞鶴か、なかなか良く出来ている」と一人言を言ったが、本当は、舞鶴湾の入ロは二つの半島に囲まれ、湾奥は鶴が羽を広げたように、東西二つの支湾に分れているところから、舞鶴と呼ばれている事は知らなかつた。
目的の海軍工廠は東舞鶴にあった。
東舞鶴は明治三十四年軍港として発足し、急速に発展をとげた町である.もともと工廠とは、兵器、弾薬を作る事を目的に作られたもので、天然の良港として知られる舞鶴は、今は駆逐艦を建造していた。
工員は五千人と公称され、ために、町中のいたるところに宿舎が作られていた。
歩哨の立つ鉄の営門の前で紹介状を出し、通行証を貰うと、歩哨の一人に案内されて建物の中に入り、応接室に通された。
だるまストープが赤々と燃え、冷え切った放哉の体は除々にほぐれ、生き返ったようであった。
やがてコツコツと靴音がして、二人の人物が入ってきた。放哉は立って挨拶をした。二人は工廠の責任者、正木部長と武久課長であった. 「尾崎さん、委細は西田先生よりお聞きしています。まず工廠内を武久課長に案内させましょう。くわしい話はその道すがら追々に打ち合わせする事として、その前にこれだけは是非守ってほしい事を申しておきます」
二人は急に立ちあがって直立不動の姿勢になり、放哉にもそのようにするよう指示された。正木部長はおもむろに
「そもそもこの工廠は、恐れ多くも天皇陛下の大御心により建てられたものです。
中では物品に触れない、工廠内で見た事は絶対に他言しない、また、工員諸君は一連の流れ作業をしています。むやみに話しかけないでください。これだけはきっとお守りください.それではどうぞ」
正木部長はこう言って出ていった。
「尾崎さん、今ここでは駆逐艦を作っています。ご存知のように軍縮会議の緒果、わが海軍は軍艦建造に制限があります。
そこで小さい艦を作り、沿海の防衛強化を狙っています.日本は今大変な時期なのです」
工廠内を案内しながら、武久課長は放哉にこう説明した。
事実、八八艦隊計画「艦齢八年未満の戦艦・巡洋戦艦各八隻を最低限の兵力とする」による建造費増にあえいでいた海軍は、安価で、しかも戦闘能力のすぐれた、小型巡洋艦を佐世保工廠で完成させていたし、時代の流れとしては、放哉が舞鶴を訪れていた大正十三年一月には、裕仁親王と良子女王が婚礼の儀をあげたほか、政友会の分裂、東京では乗合自動車が登場、外国ではレーニンが死亡、二月には海軍が軍艦「三笠」「敷島」など、九艦の廃艦を発表、町では治安維持法反対労働団体大会が開かれるなど、暗い激動の時代に向けての幕が、徐々に切って落とされようとしていた。
「課長さん、工員の方々は脇目もふらず、一生懸命仕事をされていて感激しています。 私は一燈園より托鉢をさせて貰いに参りました。たとえば便所掃除でも何でもいたしますから、ご指示してください」
「尾崎さん、ここは海軍エ廠です.万事軍隊式にやっています。便所は沢山ありますが女子を採用して、見ての通り次から次へと綺麗にしています。男のあなたが急にはいっても、かえってうまくゆかないでしょう」
「成程、それでは工員さんの自転車の泥落とし、長靴の掃除、炊事場の手伝い、水交社の掃除など、どうでしょう」
「折角のお申し出ですが、工員の自転車と長靴は私有物です。もし破損とか紛失した時に責任の所在で困ります。炊事場は流れ作業で、経験者でなければ出来ません。また水交社は将校の社交場で、管轄が違いますので一寸むつかしいと思います。ところで尾崎さん、一燈園での生活や托鉢はどうされているのでしょう」
「一燈園ですか、こことは全く違います。園では朝から一飯も食べません。五時に起きて掃除をし、道場で一時問程お経を読みますが、元来宗派にこだわりませんので、賛美歌でもお祈りでも、何でもかまいません。それから各自その日の托鉢先へ、一里でも二里でも歩いて行きます。先方で朝ご飯をいただき、一日中仕事をして夕飯をいただいて園に帰り、また一時問位読経をして寝ます。行先はその日によって違いますが、菓子屋、うどん屋、米屋、食堂、病院などで、仕事は何でもします」
「そうですか、大変な生活ですね、それではこうしましょう。この工廠の横に建て替えをした跡地がそのままになっています。そこのまわりの掃除、除草、地ならしなどをお願いしましょう。よろしいですか」
「結構です。やらせていただきます.やっと決まりました。よろしくお願いします」
「こちらこそよろしく。それから尾崎さんの宿舎は、花木通りにある工員の宿舎「敬業寮」に準備しております.ひとまずそこに落ち付いてください.それから、その紺の筒袖はいけません。寮の舎監に言って、作業服と長靴を用意させましょう.何しろ、このところ舞鶴は毎日雪です。風邪など引かないように気をつけてください。あ、それから敬業寮はこの正門を出て右に曲がり、十分程行った左手にあります。玄関に敬業寮と書いてありますからすぐわかります。小生は所用があるのでこれで失礼します」
武久課長は放哉に挙手の礼をして、足早に建物の中に入った。
「四」
敬業寮は木造二階建の建物であった。
入ロに墨痕鮮やかな看板が出ていた.
玄関に入ると、右側が舎監室と静養室が並び、左側が食堂、突あたりは炊事場とその右に風呂場と便所があり、炊事場の奥に三十畳程の集会場があった。二階は真中に廊下が通り、その両側に六畳の部屋が十室ずつ並んでいた。
舎監に来訪の趣旨を伝えると、放哉と同年輩に見える、小柄だががっしりした体格の舎監は、時折京都弁の交じる言葉で
「ようお越しで、先程課長さんからお電話があって聞いております。私は坂根と申します。どうぞよろしゅうに。尾崎さんと申されましたか、とりあえず静養室を用意しております.六畳ですが二階の部屋は皆ふさがっておりますのでご辛抱顛います」
「失礼ですが、坂根さんは京都のご出身ですか」と放哉が問うと、坂根は破顔一笑して
「そうどす.一燈園の事もよう知っとります。われわれ凡人にはなかなか出来ない事で、皆さんようやらはるなあと、感心しておりますのや、私は東山七条の近くで、馬町というところの生れです。縁あってこの寮にお世話になっております」
そう言いながら寮内を案内する坂根は、左足を少し引ずっていた。
「坂根さん、その足はどうされました」
「ああこれですか、実は二百三高地でやられましたんや、二十一の時どす。地獄とはあの事を書うのですよ、今こうして生きていられるのが不思議な位です」
「そうでしたか、それはご苦労な事で、それで坂根さん、ご家族はー」
「はい、いろいろございましてー戦争から帰って、近くの幼馴染みと世帯を持ったのですが、妻は一晩の病で子供を身ごもったまま、コロリと死んでしもうたのです。一時はイケズになりましたが、世話してくれるお人があって、ここにお世話になっておりますのやー、いやあ、つまらん事をお聞かせしてしもうてー」
たんたんと語る坂根の横顔に、放哉は、踏まれても踏まれても雑草のように生き抜く力強さと、人間のたくましさを感じていた。
それに比べて、自分はどうであろう、恵まれた職を自ら投げ捨て、自殺まで考えて、妻とも別れた生活は、異端者と思われても仕方がない、一燈園に入園したのは最後の手段であったが、純粋な心情と自分で納得したつもりが、実は追いつめられて、迷いに迷った結果ではなかったかーー酒に溺れた意志薄弱の身で、下座奉仕は辛い。それでも「繊侮」という細い一本の糸がつながっている限り、まだ少しの救いはあるのではないか坂根舎監の呼ぶ声が、遠くで聞こえるのを知りながら、放哉の心はゆれ動いていた。
「五」
翌日は曇天であったが、風が強く、殊のほか寒気がきぴしい日であった。
坂根舎監に用意して貰った、作業服の上下に長靴、頭は戦闘帽で、鍬とシャべルを肩にかついだ放哉の姿は、それでも時代にふさわしい 〃さま〃 になっていた。 上衣の一番上の釦が、首をしめられるようで何とも窮屈なので、一つだけ外した上に、手拭で首を巻いた。
「尾崎はん、場所は昨日課長さんからお聞きして判ってはると思いますが、工廠の横手です。それから昼食ですが、吹きさらしの所ですので、寒くて食べられしませんので、ご面倒でも昼は寮に帰らはってください。暖かいものを用意しておきましょう。最初ですから無理をせずに、ボツボツやらはってください。あ、それから素手はいけません。軍手を持ってお行きやす」
坂根舎監はこう書って軍手を渡してくれた。「ありがとうございます。では行ってまいります」こう言って出てゆく放哉の後姿を、坂根舎監は心配そうに見送っていた。
昨夜からの雪で、道はぬかるんでいた。成程、ここはやっぱり長靴でなくちゃあいけないなあ、とつぶやきながら百米も歩くと、もう足の先に寒気がしのび寄っていた。
言われた場所は、さえぎるもの一つない空地で、風が吹きさらしであった。
鍬を振りあげ、ヱィッと地面を打つが、カチンと音がするだけでどうにもならない。それではとシャべルで横の方からすくいあげるようにしてみるが、ほんの一握の土がほぐれるだけであった。
手を休めると襟元と足の先から、寒気が容赦なくはいってくる。「これはえらい事になった」と気をとりなおし、また鍬を振りあげながら、一心不乱になるために、別の事を考えてみる。
井師のこと、武二、鳳車のことなど、皆なつかしく、しかし、今は遠い人達と感じている。こんな風景が過去にあったような気がした放哉は、鍬の手を休めて荒い息を吐いた。
「焚火ごうごう事ともせずに氷る大地よ」
「土運ぷ鮮人の群一人一人氷れる」
そうだ、京城の時だ、これはその時の句、井師に、良いのがあれば層雲にのせてほしいと頼んだ事があった。
あれからもう二年、舞鶴も寒いが、京城の寒さは言語に絶するものがある?
また鍬を振りあげる放哉の頭に、白いものがかかっていた。
空はいつの間にか黒く染まり、その透き間からとめどなく落ちてくる雪は、一体誰が作っているのだろうか。みるみるうちに白一色に変化していく空地は、うらぷれた青の無い墓場のようであった。
昼を告げるドラが鳴った。放哉は鍬を置き、鼻水をすすりながら寮への道を急いだ。午後からも雪は止まなかった。雑草が見えなくなると溝がかくれ、そのうち盛り上った土も石も隠れた。
これは白い浄土だ.この浄土の中で、俺という人間は何だろう。無一物無一文、死ぬなら死ね、いつ死んでも本望だ。その間に少しでも社会奉仕が出来れば有難いと、殊勝にも一燈園の門を叩いたのは嘘の気持だったのだろうか。師は「下座は上座だ」と言った。
しかし、こんな上座は俺には向かない。鼻をつく便所にしゃがんで、雑巾がけでもしている方がまだ緒構だ_
気まぐれな放哉の心は不安定である。
俺は淋しい機械だ、鍬を振り上げ打ちおろす、それの繰り返しだ。こんなのは人間のする事ではない_憤懣やる方なく、とりとめのない事を考えていると、だんだん腹が立ってくる。
「もう止めだ」
鍬を放り出した放哉は、よろけながら敬業寮に帰っていった.
「六」
その晩、坂根舎監から墨と筆を借りた放哉は、天香師に手紙を書いた。
書き出しは.天香先生、」である。
放哉は人に頼み事をする時、物を貰った時、不始末を詫びる時は、超敬語を使っている。
後年、小豆島南郷の庵から、杉本玄々子、井上一二、飯尾星城子などに出した手紙にもそれが見られる。
「ー廠内一局部二、かつて、家をとりこぽちし跡ありて、其水はけをよくし、草をぬき、地をならす用件育て、一日雪中、クワとシャべルとをかついで、托鉢致した処、非常なる力量を要し、へこたれ申候、不潔の仕事はかまわぬ共、カを要する仕事ハ閉ロ致候サレバ、之は、園より力なる若か手の人の来援を待ちて、二人協カ完成の考ニ有りて、それ迄ハ、寮の掃除ノ御手伝ひ及廠内ノ掃除を手伝って消化致す考ニ之有候ーー」
放哉が筆を置いた時、坂根舎監が茶を持って来てくれた。
「尾崎さん、今日は大変きつうございましたでしょう。失礼な事を申しあげますが、この仕事はあなたには向かはりませんと思います。お見受けしたところ、蒲柳の体質のようでーーもしよければ、明日から寮の掃除などされたらいかがでしょう。武久課長には私からよう伝えときます。どうでっしゃろー」
坂根舎監の親切な申し出は、放哉にとって願ってもない事であった。
「いやあ、恐れ入ります。実は以前、肋膜炎をやっておりまして、力仕事をすると息切れがひどいのです。実は今天香師に、あなたがおっしゃったような事を書いたところです。力のある若い人を寄越してくれと」
「そうどすか、それは良ろしゅうおした。寮でもかなりな仕事量がありますし、便所などもありますがー」
「いや結構結構、クサイのには馴れていますから、何でもしますよ、アハハ」
放哉は高笑いをして頭を下げた。
今日は酒が欲しいと思ったが、托鉢の最中でもあり、あまり無理を言えない事もわかっていた。
電気を消して布団にもぐると、体中の節々が痛んだ。
「暗の底握りつめ我れを忘れんとする」
「水音親しみ親しみ夕の橋を渡りきる」
静かであった。冷々とした空気が六畳の部屋にしのび寄って、闇の中にとけこんでいった。
○ ○
舞鶴の停車場は寒々としていたが、蒸気機関車の吐く煙だけが、間隔を置いて勇ましく吹き上げていた。
放哉は十日間辛抱した。待っていた若い人は来なかったが、結局それはそれで仕方がなかった.雪は放哉が居る間中降り続いたが、皮肉にも放哉が舞鶴を去る日に止み、太陽が顔を見せはじめていた。
ひと刷毛はいたような薄いプルーが、目に見えない早さで濃いプルーに変り、その中に淡いオレンジと紅が交じりはじめた。
冬の弱々しい太陽であったが、その鈍い光が、風の息をひそめさせていた。
わざわざ見送りに来てくれた坂根舎監に、放哉は木枠の四角な窓ごしから、軽く手をあげて別れの挨拶をした。
黒煙を上げ、ゆっくりと動き出す客車の中の放哉の目がしばたいた。
坂根にはそれが涙を浮かべているように見えたが、煙が目にしみたのかも知れなかった。
赤い尾燈がだんだん遠ざかってゆく中で、坂根は、何故か心ひかれる人と人との別れとは、こんなにもあっけないものかと、何時までもホームに立ちつくしていた。「終」 |