放哉書簡集1 [放哉書簡集2] [放哉書簡集3]
Noあて先発信日発信地
1沢 芳衛宛不明不明
2荻原井泉水大7.2.1東京・東洋生命
3西谷繁蔵大11・5・25朝鮮火災海上
4荻原井泉水大11・6・1朝鮮・京城
5荻原井泉水大11・1・23朝鮮・京城
6荻原井泉水大12・8・2満洲・長春
7荻原井泉水大13・3・23京都・常称院
8住田蓮車大13・8・7兵庫・須磨寺
9佐藤呉天子大13・12・15兵庫・須磨寺
10荻原井泉水大14・3・23兵庫・後藤方
11荻原井泉水大14・4・29一燈園
12荻原井泉水大14・5・12一燈園
13荻原井泉水大14・5・12一燈園
Noあて先発信日発信地
14荻原井泉水大14・5・17小浜・常高寺
15荻原井泉水大14・5・24小浜・常高寺
16荻原井泉水大14・8・1京都・竜岸寺
17井上一二大14・8・11京都・荻原方
18荻原井泉水大14・8・13小豆島・井上方
19荻原井泉水大14・8・21小豆島・南郷庵
20小沢武二大14・8・24同所
21荻原井泉水大14・8・30同所
22荻原井泉水大14・9・2同所
23荻原井泉水大14・9・11同所
24飯尾星城子大14・9・14同所
25荻原井泉水大14・9・18同所
 
 今朝はめづらしく早起して御手紙拝誦仕り候。色々と心配してくれて誠にありがたい。此間はつまらない手紙を書いた。今日は其結論をつけてみんと存じ候。要するに矛肩してゐる傾向を裁断してしまへばよい、そして一方に血路を求むればそれで結論はつくのだ。几そ万事知らねば知らぬで済んでしまふものだ。知るは妄の始也だ。知らぬは仏に候。されど、一度知りたる以上は是非共其渦中に這入らねばならぬ。渦中で一生を終るか、再び其渦中を出て所謂一方の血路を発見するか、ここが苦心を要する処と存じ候。生れ落ちるより金満家の内にそだちし人は裕々たる態度あるもの也、之知らずして裕々たる態度を得たるものに候。されば其唯一の原動力、金を失はんか、木から落ちた猿也。貧窮に生れて裕々たる襟度を得し人は之修養して得たる也。金がなくなるとも風馬牛而己。平坦に行けば知らぬで済んでしまへども、危険干万也。ーー以上は自分の感慨也。結論と何等の問係なし。
 今更可笑しい様なれ共、自分等の仲間(四千人の大学生といへばちと大袈裟ナレド)に甚だあきたらず、彼等は出校後は中流以上の社会に入る人ならずや、その人々等が何の為に勉強してゐるのやら自分にはわけのわからぬこと多し。勉強する為に勉強すると答ふるものあらんもそは逃口上也。学校を出てから金を貯める話や、美しい嫁をもらふ話や、代議士になつて人に威張る話や、こんな話を聞いてゐては自分にはどうも満足できず、彼等が卒業して後、大臣となり其他知名の士となるはよけれども、「大臣となる事」その事を彼等は喜ぶ也。「知名の士となる」この事を喜ぶ也。彼等は勉強してゐるお蔭で自然と大臣となる也。知名の士となる也。只それだけを喜ぶ也。東京を発する者が歩むが故に静岡に達するが如し、再び歩むが故に名古屋に達するが如し。之は事実也、知らぬが仏の類と思ふ。彼等は「何の為に大臣となるのか」「何の為に、何を為さんがために知名の士となるのか」については何等の決心も有せず、主義もなし。金をタメル為や、よい嫁さんを貰ふ為では勿論話にならず、かくして彼等は勉強してゐる間に自然に大臣となり自然に知名の士となり、知名の士とせられてフラ/\行くうちに驚いて死んでしまふ也。彼等が知名の士となつて相当の言行をなすは、知名の士になりたるが故になすのみ、彼等はももともと何の為、何をなさんが為に知名の士となるべきや、について決心もなく主義もなし。又何の為とする処あらんや。ーー大学生ーー毎日通学して勉強してゐる同輩を見る度に、それと語る度に、其物足らぬ心持するは之が為なり。此頃はホトホト嫌になれり。通学するのも嫌な気持がする。ーー之、蓋し人のセン気を病みするものならんやもしれずーー大学生を見たら大抵みんなこの位なツマラヌ考で勉強してる輩と思ふべし。
 以上で話の一段としてこれから又別の問題となる。全体「総ての人が幸になるやうに」と云ふのが自分の看板なので、此目的を貫徹させんためには○○などは全然いかない、○○など認めて、互ににくみあつたりなどする必要は少しもない。云わんや鳥取県人団体だとか、土佐郷友会など作つて勢を占め合ふ必要も少しもないしかし、現今の時世から見れば政治も経済も何もかも国家を土台とせねばならぬ。しからざれば到底完全な結果は得られない。(中略)
 以上、自分のイヤな事。きらひな事、癪にさはる事、思ひついたままを二つ書いてみた。こんな議論らしい事を書いてみたのは、始めて也。うるさければ読んでくれなくてもよい。扨、これだけの事実を二つ並べて書いて、何の連絡なしに直ぐさま結論に這入らうとするのだからムヅカシイ、うまく結論になるかどうか。
 単刀直入して、自然と共に遊んで暮してしまふか、或は、一旗幟を立てゝ渦中に没して勉強するか、此二つより外にはないーー自然は親しい物だと知りつゝ、自然は楽しい物だと知りつゝ、尚自分は後者をとらねばならない、勉強せねばならない。結論は頗る早いが之で尽きてゐる。ーー結論に至る連絡は、ヨシサンにはわかるだらうーー
 ワシには何もかも打ちあけてくれるのはうれしい、ワシに対しては、所謂自負心なるものを取つてしまつてくれるのがうれしい。しかもオマエに対してワシの自負心のなささ加滅と来てはお話にはなるまい。オマエは、自負心を取つてしまへぱ後には何も残らない、之が自負心にならねばならぬとか、何といふ自分は非社交的な人間であらう。など云つてゐる。勿論之等の点についても考へねばなるまいけれ共、寧ろ根本的に、何の為に社交的にならなければならないか、何の為に自主心にならなけれぱいけないかは、一つに「他人の幸になる為に」といふ尺度で決してくれたら安心と満足を求むる地盤は尚他に発見することが出来ると思ふがオマエはどう思ふ?
 冗談ばかり云つてゐるからといつて、その人の心の中がわからぬやうでは、語るに足らない、わしの冗談を知つてくれるオマエをーー同人間ーー近きにーー求むる事が出来ないのも苦しい。ワシを力にしてくれるだけ責任が重い様な気がするが。(以下不明)
 
 
 
井泉水様二月一日放哉生
拝啓、大分御無沙汰を致して居ります、この頃ハ支店会議だの、決算だの、いろんな事でごつた返して居ります、二月号層雲の定型的表現と自由表現との中で谷本博士が、ひどくこき下されて居るのは痛快でした。蓋し、谷本博士は、自分で、此の文章を読んで見ても、わからないでせう、そして、不思議がるかも知れません。高尚な(?)アイロニーではありませんか、此頃析々思ふ事ですが、吾々が鎌倉のオ寺に遊んだ事がある経験上、所謂俗人の時と(今も猶俗人なること勿論なのですが〉それから公案のニツ三ツに及第した時と、其の后の現在の俗人の状態と、以上の三期にわけて見得ると思ひます。第二期に於てスッカリ悟り切つてしまつたと仮定しますと、此の境地から、第三期の其実の活動が出て来るのだと思ひます。只不幸にして、吾れ/\は第二期に於て完全に悟りきれず、従つて、第三期の活動期も甚旗幟不鮮明な感じがするのであります。俗人の第一期を俳句の月並や写生に満足して居た時期と見ますと、第二期は、今日層雲に於て私が進みつゝある時期と見る事はいけないでせうか。所謂、今が芸術に到達した時期と見ますると、第三期の悟入を脱した活動の時期は、所謂、芸術より芸術以上へ進む時期と考へる事はいけないでせうか、若しかく考へ得るとしたならば、所謂第二期の芸術時代、悟入の時代は一番大切な時ではありますまいか、完全なる悟入を得る事が出来なかつたならば、遂に第三期の、真の活動時代、芸術以上の時代には発展する事が出来ずして(自分では第三期に這入つて居ると思つて居ても〉第二期だけで、おしまひで、続いて終つてしまふのではありますまいか。して見ると、今の時代が一番大切な時期と云ふ事は出未ませんでせうか。妙な比較で、あなたは一笑に附しておしまひなさるかも知れませんが、なんだか、そんな気持がします。そして、口に出して見たくなりましたから、書いて見ました。これで、此の頃中々いそがしいのですが、其の中から、こゝ迄書いて見ました。今は、丁度、昼の十二時であります。これからまた、商売の用事にとりかゝります。近いうちに一度、おあひしたいと思ひます。武二君にも夢人君にも、オ正月はおあひ致しました。 匆々
 
 
 
 繁蔵様 二十五日 秀
 啓、又御願ヒ有之候。多忙多端デ頭ガ、電光ノ如クニ働キ居り申候。扨、此度私母事死去、「カヱレ」ト打電来リシモ熟考ノ結果、コノサイ、「カヱラレヌ、ザンネン」と打電致シ申候。母子、今世ノ別レヲ、死ニ目ニアワズスマシ中候。但、将来ノ事業成功ヲモッテ親孝行トシタシト存居申候。ソレニツキ「カヲル」ヲ急二国許二帰ラセ申候。又、小生ヨリ、ソノタメニ送金セネバナラヌ事ト相ナリ申候。御推察下サレ度シ。ソレデ、今月、洋服ヤニ送ルオ金準備セシモコレヲ、女ノ方二廻シ候タメ、止ムナク小林君二欠礼致シ、釆月ハ必ズ送金スル故右事情何卒アナクより万事、了解スル様にオハナシ置キ下サレマジク候ヤ。天災二有之、ナントモ止ムヲ得ザル次第は御察シ下サレ度シ。ヨロシク、タノミマス。(洋服ノ関税二十日ニハオドロキ申候。洋服店トシテ発送セヌ事、洋服ハ修ぜんトシテ発送スル事チット咎めカト存中候。ヨキ経験二有之)トクイソギオネガビ迄。 匆々
 
 
 
 荻原井泉水様
 六月一日      於京城 尾崎生
 拝啓仕候。其后は御無音に打ちすぎ居り申候。但し、層雲にて御健在の由御承知奉万賀候。小沢君も達者の由に之又承知致居り申候。組織改革后の層雲益々隆盛の程念じ居申候。逐日大兄の理想の実現と存じ居り申候。小生仏性を抱いて半分の覇気か、邪気か、を有し、両者の統一に成功するを得ず、遂に「俗人化」に満足して、只今当地に有之候。将来は「俗人化」の「洗錬」に努力致すべきかに存じ居り申候。何れ此の辺にて、生活の本拠定まり候はゞ、更めて御通信申し上げ、層雲其他の発刊物の御送附を乞ひ度しと存居申候。たのしみは、只、読書より外に無之候。御推察を乞ひ申候。種々の御通信ハ次便以后にゆづると致し左二御叱正を乞ひ申候。
 
○白服ノ鮮人意外二多キニハ驚入申候。
○釜山より朝未明京城に至る途
「白きものうごめく停車場の夜あけにて
「白いは人と鳥とにて青い畑よく鋤かれたり
○下関にて二人旅ビの。船に弱き我れは)
「汽車下りて船に乗る寝どこありにけり
○宿舎にて
「火ばしさす火の無き灰の中ふかく
○天主教会堂の鐘の音、たゞならずよき音色なり。(宿やの窓にて)
「暮るれば教会の空ひろう鳴る鐘
 
 鮮地の青空は、誠に深く広く晴れ居申候。大陸的といふものならんか、この頃、八時迄はたしかに、暮れ申ざず候。大兄、其の内御渡鮮の期なきや。大兄の例の霊筆益々なつかしき気分を表白するものあらんになど思ひつゝ(鮮地の自然を叙述するに於て〉此の手紙したゝめ申候。奥様御達者に有之候や。久々にて一筆如斯に御座候。 敬具
 
 
 
 井泉水様榻下          尾崎生
 啓、大分御無沙汰しました。なんとか、かんとか云つても矢張り死ぬ迄は働かねばならぬものと見えます。京城が小生の死に場所と定めてやつて来ました。来て見ると寒サは檸猛一言語に絶するものがありますが、呑気な処が有ります。一寸、内地に帰る気分が致しません。(東京ノアノ電車の満員を連想してさへも)私には、こゝの気分があふのかも知れません。毎日、愉快に仕事をして居ります。毎日、白い服を衣た鮮人に、たくざん逢ふのも嬉しく、青天の多いのもうれしく感じます。御らんの通り(営業案内で〉、会社の事業はこれからで有りまして、小生ノ后半生を打ち込んでかゝりました支配人としてイクラか自由な計画が出来ますから、ウンと腰をすゑてヤル考で居ります。中々本も読まねバならず、勉強しなけれぱなりませんが、矢張り層雲が見たいのであります。時事新聞ハ、間遠で困ります。ナンカ、よい機関新聞は出未ませんか。毎日句稿がのる様に。これからは毎月、層雲を御送り願ひます。不取敢拾円送金して置きましたから、雑誌層雲以外、出版もので、(例へぱ、民衆芸術。名簿。等)もちよい/\御送りねがひます。足らなくなれバ又御送金します。次ノ句ハ、イロ/\うるさい文句付ですが、よいのが有つたら層雲の雑吟中ニ、おのせ下さいませんか。
 一度、こちらに御出なさい。御案内しませう。
 ○「オンドル」といふ奴ハ、どうしても、冬、なくてはならないもんですネ。私の宅ニハ今、六量ノガありますが、ポカ/\して春の様な気もちです。それで、外ハ、○度以下何度といふ寒さなんですからネ。(硝子障子ゴシデ)空気が乾燥してゐてオ月様モ、星モ、スグと、眼のサキにキラ/\してゐます。
  (之ハ床ノ中二寝テ居テ夜中ニ眼がさめたのです)
 ○オンドル月夜となれり巻煙草をさがす
 ○廊へ急ぐ足音ぞオンドル更けたり
 ○オンドル焚き捨てゝヨボ(鮮人)を叱るたそがれ
 ○オンドルに神棚も手近く祭りて
 ○オンドル冷ゆる朝あけの電話鳴るかな
 ○オンドルに病んで前住の人の跡をさがす
 ○何に使ひしものか柱に錆びし五寸釘
 ○熱の眼に色々のもの釘にぶら下る
 ○電灯二つくつ付けてチヤブ台とり巻く
 ○あはぬ襖が気になりて病む眼をとがらす
 ○妻を叱る無理と知りつゝ淋しく
 ○コスモスに朝の煙流れそめたり
  (庭に実生ノコスモスガ、ウント咲いてゐるのです)
 ○コスモス抜きすてしあとに黒猫眼光らし
 ○晴れつゞけばコスモスの花に血の気無く
 ○台所のぞけば物皆の影と氷れる
 ○鮮童石とばす、身を切るやうな風
 ○焚火ごう/\事ともせずに氷る大地よ
 ○氷れる硯に筆なげて布団にもぐる
  (之は床中二病ンダ析ノ事デス)
 ○曲がれる釘の影までが曲れり
 ○半ば山をくづせる儘に冬となり行く
 ○土運ぶ鮮人の群一人一人氷れる
 ○石に腰かけて冷え行くよ脊骨
 ○コトとも音せぬ夜の足の節々が痛む
 ○大めし喰ふ下女の手足がうらやましく
 ○客が帰つたあと、どんなでたらめをしやべつた事かと思ふ
 鳳車君御健在ですか、武二君は御壮健ですか。奥サンにもよろしく御ねがひ申上げます。匆々 敬具
 
 
 
拝啓
二日
  鈴の音したしむ小ざい馬車馬二つづつ
  支那語で馬車をよぶ月の夜うれしく
  月に二重戸おろし相子関と人すめり
  青草限りなくのびたり夏の雲あばれり
  支那の女美し巻煙草すひ馬車をかるべく
 当地に来て間がないのでまだ思想がまとまりません。毎日広い空、広い野原を眺めて居ります。この辺では「夏草やつはものどもの夢のあとといふ様な「センチメンタル」の感じは不思議と出て来ません。むしろ人殺しとか、強盗とかいふことは自然の事である様に思はれます。あたりまへの事の様に思はれます。落着きましたらまた手紙差し出しますが、左の肋膜が悪くて医者がぢつとして居れと申しますから、いとこに書かせます。それから外のことですが、あなたが昨年か一咋年でしたか伊豆の大島から新島へかけて確か旅行なすつた事がありますね。当時島には同人諸君二三が居たと記億して居りますが、現在もやはり島においででせうか。もしさうだつたら名前とところをすぐ知らせて下さい。尚其後転任せられたら其転任先を一寸知らせて下さい。(どうも俳人名簿の中に見当らない様です〉御忙はしいでせうが何しろ遠方のことですから早く御返事を下さることをまつて居ります。武二君はお嫁さんをもらつたのですか。
  荻原井泉水様        尾崎生
 
 
 
 井泉水様御侍史         放哉生
  三月二十三日
 拝復、御手紙うれしく拝見致しました。御思否しの処拝誦、当分京都御住ひといふ事になれば、なんとなく、にぎやかな心地が致します。小生の居る常称院は智恩院本堂のすぐ近所で門前に赤いポストの立つてるオ寺であります。勿論浄土のオ寺で、住職一人、息子が銀行に出てゐる。妻君は咋年死去といふごく淋しいオ寺であります。一燈園からたのまれて二三度掃除の托鉢に行つたのが機縁となり、和尚サンが無人故、オ寺に来ないかと云ふので、遂に来る事になりました。一燈園同人ではありますが、マヅ当分は、此のオ寺に居る考。飯焚キから、マキ割りから掃除から一人でやつて居ります。中々いそがしいです。其内、和商サンの御弟子にしてもらつて、ドツカ、出舎の小サイオ寺の留守番に世話してもらつて一生を終るか又は、ドツカの墓守にでもたのんでもらつて、死を待たうと思ひます。和尚サンも了解してくれました。私の妻は、長崎の従弟の処で、ミシンや縫物等で自活の途を研究してゐます。之は不得止ば、私の兄の家(喰ふには困りません故〉に、たのむ考であります。私は、「無一文生活」、「働いても報酬をもらはない生活」、及、「衆人のためのザンゲ生活」、「自己のザンゲ生活」として一生を終る考であります。和尚サンも日ろ戦争に出た人で、酒も呑めば肴も喰ふ、私には、もつて来いの人です。社会と絶縁してから、オ酒を呑んでも安らかに、何も考へず、心配せずに眠られます。之丈けは、感謝してゐます。マヅイ物を喰つて、一日、手足を働かせてゐて、一貫目(昨年十一月以来)、重量がふえました。人間は気持のものですネ。それから、何処に行つても、イヤな事は、少々はたえません。一燈園についても然りです。要するに「死」に到着せねば、ッマリダメなんでせうと思ひます。時々、真面目に「死」を研究する事があります。決して悲感ではありません。どうも私の様な、つまらぬものは、「死」より外には、求める物が無い様な気持がします。何れ御目にかゝつて色々御はなし申し上げます。世の中は、どこに行つても、うるさいもんですネ。私の現在ハマヅ寺男と思つて下さい。黒イ、ツゝ袖を衣て働いてゐます。」それから、数珠や町辺の宿屋は、あまりよい、宿屋は無いといふ事です。私は京郡の地理は余り知りません。京都も一両日来、余程暖になりました。来月三日、御出の頃は大分春らしくなると思ひます。鴨川べりの柳も、まだ石の様に、カタマッテ見えます。万々御眼にかゝりて中上げます。是非御タヅネ下ざい。直ぐにわかる処ですから。此の寺の和尚サンに、たのめば、アナタをおとめ申す事も出来るかとも思ひますがよく有る通り世間ノ「ボーサン」は皆回じく、中々、金銭問題には、鋭敏で、早くいへば、コスイのですから、此間も法然上人のオ忌に、田舎から出た人を夕朝食でとめて、「一円五十銭」苑とりました。内あけばなしが右の通りであります。アナタを御とめ申しても、お気づまりであらうかと心配しますが、此辺も御一考を下さいまして、それも、かまはんといふ事なれば、和尚サンにお話し申します。如何でせう。中々うるさいもんです。今日はこれでやめます。御加餐を祈ります。  敬具
 
 
 
 蓮車様         放哉生
 拝復。今日は御感想をおしらせ下さいまして、難有う存じます。まだ例の盆大師の夜通しがコンナにこたへるのは、矢張り悪食のせゐですネ。而し、身体が弱つた処で、只今ではナンとも思はない。平気になつて居ります。ヤケではないが、自然に一任してゐるのです。御手紙中、「烏金の勘定してゐるよりも大濡れに濡れた方がよい云々」は気に入りました。どうしても二枚目ですネ、「橘屋アー」かナンかで、雨に濡れた袂をしぼる、勿論ピカ/\光るヤツを口にくはへて、場所は両国百本杭あたり、ザッ/\と潮が上げて来る、キッと大向ふを見込む、ナンカ……笑談ヂヤない。「大濡れに濡れて云々」からよい気分になつて、ヨタをトバして相済みません、お許し下さい。
 天香さんに暑中見舞を出しましたのは、アナタの御言葉の通り、私が此のお寺にアナタの御世話で来させていたゞいて、落ちついて居られるのも、結局天香さんにお目にか一ゝつてから、人園させていたゞいてかうなつたのですから、其の因縁を感謝して、その通りを天香さんにお礼申した次第であります。私は正直者なんですから、アナタのお言葉の通り慥に、天香さんは、先覚者であり、開拓者であります。そして私の尊敬する点をウンと持つていらつしやる方であります。故に今後ます/\天香さんの御措導をお受けする考であります。それは決して人後に落ちないのであります。只、天香さんはよく「自分は中学も出てゐない」といふやうなことを講演なぞで仰有りますが、それは偶然の事実であつて「中学も卒業しない」といふことそれ自体は決してよい事ではあるまいと思ふのです。コンナ事申すと妙ですが、私の様に、少々学問した年月が長かつた者から見ると、ソヲいふ私の様な者の頭の中を、天香さんが理解して下さるのに少々物足りない処がある気が致しますのです。コレはこちらの「慾」が多すぎるせゐでせうとあきらめて居ります。只以上の如く天香さんを尊敬し、御指導を仰ぐ点に於て決して人後に落ちぬ考で居ります。只今日では、アナタといふ私を十二分に解して下さる人が出来てゐるのですから、私はそれで満足してゐるのであります。早く申せば天香さんに対する不足の点をアナタが補つて下すつたわけであります。
 御手紙中ニヒリストに追ひ込まれた形云々とありました、それには一寸説明がいる気持がします……かう云へば、アナタはお解り下さるでせう………。将来の結果を予想して、その予想に、自分で自分の運命を運んで行く者、(その予想は、現世的に申せば、ワルイ、凶の予想なのです)……それが「私」でありました。それから、むし私の幼時、小学校の時だと思ひます。「本」が大変スキで、寧ろ病的でした。その頃はランプの時代でしたが、三分シンのランプを机の上にのせて、壁におつ付けて、自分が座はつた周囲三方を小さい二枚祈の屏風をもち出してカコンで、しまひには上にまで(天井)ですね。屏風の小さいのを一枚のせて、マルデ四角な立体の空間をこしらへてその狭い中に座はり込んで、外との交渉を一切たつて、読んでゐた事をハッキリ記憶してゐます……それから中学に這入つてからの思想ですが、「吾人は何しに生れたのか」といふ本が沢山出ました、(人生の目的〉なんか云つたもの……そんなものを読んで計りゐたのは、勿論、老子、荘子をわけわからず読んだもんです。私の中学は田舎でして、一年が日本外史、日本政記ビニ年が十ハ史略、三年が八大家、四年が史記、五年が左伝、といふ、マルデ読書百篇、チヨンマゲ流に叩き込まれましたもんです。そのころ「巡査は盗人のオカゲデ、タメにメシを喰つてる、それだのに盗人ばかりワルク云つてるのは可笑しい。盗人がゐるおかげで巡査その他の者はメシを喰つてゐるのぢやないか」といふ様な疑問が起きて、時には盗人に同情したりしたやうなことがありました。かういふ記憶が今はつきり残つて居ります。まあ社会主義者の腐れた卵子のやうなもんですね。………以上申上げた三つの事実をお考へ下されば、『ニヒリストに追ひ込まれた』といふ言葉の内容に少しく訂正すべき点が有るのではありますまいか、お伺ひ申上げておきます。
 最後に御文中「自分の身に着てゐる一切を分離しきる方へ今歩みを向ける」云々の御言葉は全部肯定します。私も今それを欲してゐるのです。その点に於て先輩たるアナタの御指導を受けたく、正直に私といふものを全部アナタの前にさらけ出してゐる状態であるのは御承知の通りであります。どうか永久に・…・・只、お願ひ申ます。
 俳句はこのごろウマクなりました。俳三味も座禅の一種であります。此のごろは「層雲」(雑誌)の選者格になりました。どつかの新聞か雑誌で私を選者にしてくれゝば、風呂代と煙草代と郵便切手代とに、月五円もくれゝば嬉しいけれ共と思つてゐます。ヤスイ選者だけれ共、此のオ寺ではそれ丈けあればやつて行けるのですから、よいお考へは出ませんでせうか、お考へ下さいませ。何だかとりとめもないことを書きました。
 此間、武田君来訪、氏がお寺に帰られゝば氏は好きな人故、そのお寺の方にでも行かして貰つてもよいと思つてましたが、まだ氏も決定といふ処までは行かないらしいのです。
 今日は之れでやめます。  敬具
 
 
 
佐藤兄榻下        十二月十五日 尾崎生
(下座、奉仕生活二入リテヨリ、満一ケ年ヲ経過シテ)
 啓、大分御久振リデ入ス。オ正月モ近クナリ、当地己二初雪初霰至ル。御健在ナル可シ。此オ寺二来テヨリ巳二半歳以上トナル、下座ノ生活、一生ノ修業ト思ツテ居リマス。今日何トナク或ル淋シサヲ感ジ、兄二此ノ書ヲ送ル気ニナル、或ハ近イ内二死スル前兆カモ知レヌ、呵々。
 荻原君二小生ノ現状ヲ聞カレテ以来、御手紙イタヾキ、又、一燈園ニモワザ/\御訪問下サレシ由、誠二感謝ノ辞ノ外有リマセヌ。唯閉寂ノ境地、下座ノ生活二浸ツテ居ルモノ、通信スルハ不適当ト思ヒテ今日二至ル。今日不意二兄二此ノ手紙ヲ書キタクナル、之レモ何カノ因縁ナル可シ。小生、全部ノ友人ト離レタル事ナレバ、友人ノミナラズ親類、妻トモハナレテ、唯一人トナリタル今日、誰ニ向ヒテモ今日迄力ヽル手紙ヲ書キタル事ナシ。夫レガ不意ト兄二宛テ、此一文ヲ書キ度クナル、全ク何カノ因縁ナル可シ。サレバ最初二堅ク御約束希フ。此一文、並ビニ小生ノ事二関シテハー切兄以外ノ人ニハ御他言御無用、堅ク御約束シテオキマス。
 扨何カラ申シ上ゲテ宣イヤラ、万事夢ノ抽シ……。
 一、小生ノ性格ヨリ申叙ブ……学校時代ヨリ、法律ヨリモ哲学宗教ニ趣味ヲ持チ、釈宗演師在生中ハヨク鎌倉円覚寺二行ッタモノ也。「正直」ヲ大切ナ道ト心得居タル凡俗也。
 一、官吏ト謂ウモノ、虫ガ好カズ、銀行二入ラントセシニ、穂積陣重先生ノ話シ二、保険界ニハ大シタモノナキ故、寧ロ、保険界二入ル方上達ノ道早カル可シトノススメニヨリ、茲ニ保険界ニ入ル。豈ハカランヤ、保険界ニハ人物ナケレドモ、利口ナ人ノ悪イ人物ハ雲ノ如ク集り居ラントハ。
 一、右ノ如キ者保険界ニ入ル、不平、至ル処二発スル事当然ノ理也。最初ノ不平ハ、小生大阪支店赴任ノ時ヨリ始マル。……其当時ノ支店勤務ノ人々ノ中ニテ、小生東京ヨリ来タナラバ、酒ト女デ殺シテ帰シテシマウ方針二議決シ居タリトハ「神」トテ知ランヤ。之ハアトヨリ其謀議二加ハリシ人々ヨリ洩レシ也。可恐/\。
 其後小生ノ身辺、常二、口ニハ甘イ事ヲ云へ共、小生ヲ機会毎二突キ落シテ自己上達ノ途ヲ計ラント云フ、個人主義ノ我利/\連中ニテ充満サレ、十一ケ年間ノ辛抱モ遂二不平ノ連続ニテ、酒二不平ヲ紛ラシ、遂二辞職スルニ至ル。其ノ時小生、最早社会二身ヲ置クノ愚ヲ知り、小生ノ如キ正直ノ馬鹿者ハ社会ト離レテ孤独ヲ守ルニ如カズト決心セシナリ。
 一、然ルニ何者ノイタヅラゾ。朝鮮火災海上保険会社創立ノ大任ヲ以テ小生ノ再起ヲ郷里二打電シ来ルアリ。几人タル小生、猶未練アリ。又、ノコ/\ト郷里ヨリ上京ス。〈此途中名古屋ニ下り瀕死ノK君二逢フ。同君トハ之ガ最後ノオ別レナリシガ誠二感慨無量也)
 即支配人トシテ基礎工事ヨリ仕上ゲ、人間モ作り満一ケ年ヲ経過シテ○○万円ノ積立金ヲ残ス事ヲ得、仕事ハコレカラト云フ処デ社長ノ命ニヨリテ辞スルニ至ル。小生朝鮮二行ク時、此事業シテ成ラズンバ「死スカ又ハ僧トナルベシ」トアル人ニ誓ヒタリ。目下、僧同様ノ生活ニ人ル。何時又死スヤモ知レズ。小生ハ決シテ約ヲタガヘル人間ニ非ザル也。裁デ如何シテ朝鮮デヤノタカト云フ疑問起ルガ当然也。小生ハ決シテ自己弁護セズ。又弁解スル事ガイヤ也。小生ガワルカッタ事、事実ナラン。但小生今猶々、自分丈ケハ天地ニ恥ヂヌト思ッテ居ル。要スルニ此ノ「馬鹿正直」ガ祟リヲナシテ、人ノ悪イ連中ガ社長ニイロ/\吹キ込ミタル結果也。皆又、東洋生命ニオケル時ト同ジ。ツクヅクイヤニナッタ。然シ、何シロ、朝鮮ヲ永住ノ地トシテ働ク考ナリシ故、無資産ノ小生、友人等ニ少々ノ借金ヲシテオッタ。之レヲ返却スル道ナシ(突然ノ辞職故)ソコデ満洲ニ行ッタノデス。満洲デ一働キシテ借金ヲ返サネバ死ヌニモ死ナレヌト考ヱ、長春辺迄モ遠ク画策ヲシタノダガ、寒気ニアテラレ、二度左肋膜炎ニカヽル。満鉄病院長ノ言ニ肺尖甚弱クナツテ居ル、三度目ノ肋膜ハ最モ危シトノ事。天ナル哉命ナル哉。借金ヲ返ス事モ出来ズ、事業モ出来ヌ。此時、妻ト「死」ヲ相談致シタ。此ノ時ノ事ハ今想ヒ出シテモ悲壮ノ極也。人間「馬鹿正直」ニ生ルゝ勿レ、馬鹿デモ不正直ニ生ルレバ、コンナ苦労ハ決シテセヌ也。
 一、ソコデ、万事ヲ抛ツテ、小生ハ無一文トナリタレバ、一燈園ノざんげ生活ニ入り、遇去ノ罪ホロボシ、並ニ社会奉仕ノ労働ニ従事シテ借金セシ友人、其他知己ニ報恩スルタメ、自分ノ肉体ヲムチ打ツ事ニキメ、妻ハ別レ(郷里ニ帰ラヌト云フ故)独立ノ生計ニ入ル事ニキメタル也。「妻」某所ニテ目下健全自活セリト云フ。彼女モ亦、此「馬鹿正直者」ノ妻トナリタル為メ、不幸ナリシ哉ト思ヘバ今猶、涙手ヲ以テハラヱドモ尽キズ、兄、察シ給ヘ・…。
  我昔所造諸悪業 皆由無始貪瞑癖
  従身口意之所生 一切我今皆懺悔
 以上ニテ大略ヲ察シ玉ヘ。之レヨリウソハ毛頭ツキマセン。其正直ノ処也。斯クテ(孤独ノ生活)(無一文ノ乞食生活)(下座奉仕生活)(親、兄姉、友人、知己、就中借金シテル友人ニ対シテ我ガ肉体ヲ苦シメ、笞打ッ懺悔生活)ニ入ル事トナリマシタ。丁度「秋」薄ラ寒イ時、満洲カラ「影」ノ如ク、一燈園ニ入ル、唯一人。一燈園生活ハ御存知ノ通リノ家、寒中、雨戸モタテナケレパ、火鉢モナシ、火種一ツナシ。朝ハ五時カラ、諸方ノ労働ニ行キマシタ。(草ムシリ)カラ(障子ハリ)(大掃除)(引ッ越シ)ノ手伝、(炭切リ〉(薪割リ)(便所掃除)(米屋ノ荷車ヲ引ッ張ツテ、電車道ヲ危ナク、轢キ殺サレサウニシテ歩イタ時ハ泣キマシタ)、其他(広告配リ)等等等。其種類ハ数限リアリマセン。コンナニ馴レヌ什事デ身体ヲ笞打ッテ居タラ、病気ニナツテ死ヌダロウ。死ネバ幸ヒト思ッテ居タレ共、幸力不幸力病気ニモナラズ、サウシテヰル中ニドウモ(孤独生活)ト云フ事ガ、求メラレテタマラヌ。ソコデオ寺ノ托鉢ヲサガシマシタ。本願寺派ニモ行キマシタ。結局、真言宗ノ当寺ニ本年六月ニ来テ、全ク(孤狐〉ノ生活ニ入り只今迄居リマス。此オ寺生活ガ何時迄続キマスヤラ、之モ因縁次第ト思ツテ居リマス。小生只今ノ嬉シミハ俳句計リ。「層雲」デ荻原君ト交通シテ居ルノミデアリマス。
 以上デ大略申シ上ゲマシタ。此「馬鹿正直者」豈他山ノ石ナランヤ、呵々。兄ハ只今未ダ東洋生命ニ居ラルゝ由。同社ハ小生ノ鬼門ナリ。決シテ会社ノ人ニ少シタリトモ話シテ下サルナ、ウルサイカラ、無責任ノ批評ハ困ルカラ。兄一人ノ胸丈ニ秘シテ置イテ下サイ。小生大往生ノ後ハ御自由デス。クレ/\モ約束希ヒマス。
 此須磨寺ハ半俗、半僧ト云フ処故、今少シタテバ、ズット山ノ奥ノ奥ノ全ク淋シイ処ニ孤独ノ住居ヲ求メタイト思ッテヰマス。今ハ其準備時代ノ様ナモノデスネ。
 兄トモ、イロ/\ノ御交際ガアリマシタ。渋谷ノ私ノ宅デ正月、皆デ酒呑ンデウタツタ事ヲ思ヒ出シマシタ。XX君モ死ニマシタサウデスネ、南無阿弥陀仏/\、此オ寺ハ全ク精進デスガネ、俗人ノ小生、酒モ呑ミタシ、牛肉モ喰ヒタイ、但オ金ガナイ丈ケ。此辺ニ出張スル時力又、遊ビニ来ル時デモアレバ、ウマイ物ヲ御馳走シテ下サイ、呵々。実際アレ丈ケ、生活状態ノ激変ヲシテ、肉体ヲムチ打チ/\シテ苦シメ、サイナンデ来タノダガ、今以テ死ナン所ヲ見ルト、人間ノ肉体モ丈夫ニ出来テ居ルモノト思ヒマス。今デモ毎朝五時オキ、麦六、米四ノ飯、菜ハ供物ノオ下リ故、大根、コンブ、ニンジン位ナ処。何モカモ懺悔/\。下座、奉什生活ト思ッテ、一生懸命ニヤツテ居リマス。イッカ京城ニ海苔ヲ送ツテ下サイマシテ感謝/\此ノ頃オ菓子ガ喰ヒタイ。時々ウマイ菓子(ドンナ、駄菓子デモ、只今ノ小生ニハウマイデス)ヲ気ノ向ク時ニ送ツテ呉レマセンカ、全ク有難イト思ヒマス。百円貫ッタヨリモ有難イ、呵々。ドウセ奥サン丈ニハ此ノ話ヲナサルデセウガ御二人デ、笑ハナイデ真面目ニ、小生ナル者ヲ解釈シテ項キ度イ。ソシテオ菓子ヲ下サイ。マルデ赤ン坊デスネ、呵々。小生京都ニ行ク時ハ必ズ御宅ヲタヅネマス、以上。
 何レハ「蝸牛角上ノ争」人間ノスル事ナンテチッポケナモンデスネ。一生ノ修養、修業ト思ッテ、此乞食生活ヲヤリマス。「業」ガ尽キタラ「死ヌルカ」……「安心立命ノ境地」ニ到達スルカ。只今ノ処デハ「孤独閑寂」ニ向ツテ突進シテ居リマス。
 一両日前、初雪初霰……例ニ依り一句
  又も夕べとなり粉雪降らし来ることか
 
 
 
 荻原様       二十三日             尾崎生
 今日ハ相済マヌ事申上ゲマスガ御許シ下サイマセ、私ハ厄年ノセイカ、未ダ「業」ガ尽キヌノカ、スマ寺デ大分落付キカケテ居タ処、約三ケ月前カラ、ボツ/\エライ問題ガオキテ来マシタ、簡単ニ申セバ、只今ノ「インゲン様」ト云フ本尊ヲ、隠居サセテ、他ニ、三人ノ住職ガ居リマスガ、之ガ会計カラ、何カラ全部、自分ノ権利中ニオサメルト云フ事ナノデス、目下スマ寺内ニ、使用人卜云ツタ様ナモノ約二十人程アルノデスガ、之等ノ連中ガ、双方ニ分レテ、イロ/\暗闘ガオキタノデス、御察シ下サイ、問題ハ益々紛々然トシテ、檀家総代十何人ト云フモノ、辞職スルト云フサワギ、一人超然トシテ居タノデスガ、「インゲンサン」側ノ役僧卜云フ人ト、少シ仲ヨクシテ居タタメ、ドウヤラ、「インゲンサン」側卜見ラレテ居ルラシイ──ウルサイ世ノ中デスネ。
 扨、問題ハ益々、紛糾シテ、ドウトモ出来ナクナリ、茲ニ或ル有力者ガアラハレテ、日下、鋭意、解決中ナノデス、近イ内ニハキマルラシイ、只、私ハ、当分其ノ有力者ノ親類ノ表記ノ宅ニ御厄介ニナツテヰマス、問題片付ケバ、帰寺シテ、大師堂カ或ハ奥ノ院ノ番人トナル筈ダサウデス、一時ハ全部二十何人ヲ、解雇スルト迄ナツテ居タノデスガ、目下、ゴタ/\シテヰマス。
 役僧ハ、其ノ有力者ノ家ニ泊ツテ居マス、──全部私ガ引受ケルカラト云フノデ、──
 扨、茲ニ来テ已ニ一週間ニナリマス、困ルノハオ小遣──無一文生活ハオ寺デナクテハ出来マセン、ナントカ、カントカシテ来マシタガ、トウ/\堪へキレナクナツテ、御願ヒシマス、五円デモ、十円デモヨイカラ、此ノヤムナキ場合ヲ御助ケ下サイマセンカ、待ツテ居マス。
 コンナ事、オ願ヒスル事ハ、最早将来ナイ考デ居リマス、ドウカ頼ミマス、アト五六日モスレバ帰山出来ルト思ヒマスガ──
 兎ニ角、一応帰山シテ、ソレカラ又、ウルサケレバ、自分カラ、ドツカ、オ寺ヲサガシテ、出ヨウカト思ツテ居リマスガ、只今ノ処デハ、兎ニ角「有力者」ノ人ニ対シ、一度ハ帰山セナケレバ其ノ人ノ顔モ立タヌワケデアリマス。
 ウルサイ事デスネ、ドウシテ、カウ、私ハ行ク処落チ付ケナイ事件ガ生ジテ来ルノデセウカ?ナサケナクナリママス。
 一燈園モ、ダメデス、古イ人々ハ大抵出テシマツタサウデス(中略)私ハ矢張リ、オ寺カラオ寺ト落チ付キ処ヲ求メテ、漂浪シテ歩ク事デセウ、矢張オ寺ガヨイト思ヒマス。
 コンナ事デ、二三ケ月前カラ、俳句モ作ル気ニナラズ、何モシタクアリマセン、オ許シ下サイ、此ノ時期ヲ経過シタラ大ニ勉強シマス。
 此ノ家ニ居ル間ノ、オ小遣ノ件、出来レバ五円ヨリ十円送ツテ下サレバ有難イ事デス、オ風呂ニ行ク金モナイノデ困ツテ居マス、事情ヲブチアケテ、御願ヒシテ、一日モ早ク待ツテ居マス。イヤナ手紙、内容故、読ミ返シモセズニ出シマス。 ○御返事来ル迄、此ノオ宅デ待ツテ居リマス、何卒御願申シマス。
 
 
 
 荻原様       二十九日            放哉生
 拝啓、本日、層雲着、御礼申上候、京都は毎日/\雨にて寒いのに閉口致居り申候。
 天香氏、未だ四国より帰らず、帰れば、一寸、ヤヽコシイと思居候、神戸より通信未だなし、ダマサレタノカナ?
 水だきのゴチ走の御礼。帰ツテ、園のマツ黒イ麦めしニ、コーコデ、オ茶カケテ、かきこむ位ノ昨今ニ有之候。
 アンタノ家ヲ京都ニたてる件如何、是非御実行ヲ乞フ、勿論小生、留守番、掃除番、台所番として。御一考ヲ乞フ。
 今日ハ、御礼申し上げたくて。敬具。
 
 啓 おハガキ、拝受、近々御帰洛の由、其後例の、仲裁人から又ハガキが来て、自分から通知する迄は、小生が直接オ寺に帰られては困る故、今少し、待つてくれと申して来ました、小生は大和尚の方の味方と見られて(法学士の参謀として……全く、いゝ迷惑なこつてすね……私が今少し、野心があれば、大に面白い芝居が打てる処ですがね)、三住職から、大に睨まれてるのださうだから、小生が、仲人ヌキでズツトお寺に帰ると、具合がわるいさうです、全く、イヤになつてしまふ。【一】
 
 
 
 (葉書)
 処で、表記のオ寺、若狭国小浜町浅間常高寺(禅寺ださうです)に人がいるさう故、兎に角当分、ソコに居る考で、一両日中に出発します。御手紙下さい……少し落ち付いて俳句が生れて来る気持を養ひたい、今の気持ではどうにもならん、(中略)アナタには大抵、コンドはお眼にかゝれないで、表記のオ寺に行つてしまふ事と思ひます……手紙を下さい、サヨナラ。【二】
 
 
 
 井さま       十七日            放生
啓 京都ニ御出ノ事ト思ヒマス、旅ノ御疲労ハ出マセンカ。
 今日ハ、余リ可笑シイカラ、オ寺ノ様子ヲ、一寸書イテ見マセウ、此ノ寺ノ和尚サンハ、例ノ天下道場、伊深デ修業シタ人、機鋒中々鋭イガ只、覇気余リアリト云フ訳カ、少々、ヤリスギタンデスネ、ソレカラ、坊サントイフ者ハ、通ジテ実ニ細カイ、「モツタイナイ」ヲ通リコシテ、「リンシヨク」ト云フ方ニ、ナリカケノモノデスネ。
 茲モ御多分ニ洩レズ、米カラ、炭カラ、味噌カラ、ソノ使ヒ方至レリ尽セリ、シカモ例ノ百丈和尚ノ「一日為サヾレバ一日喰ハズ」ヲ毎日、二三遍位宛、聞カサレルノダカラ実ニ耳ガ痛クナル。
 朝ハ、四時起ト、五時起トノ時ガアリマス、四時ハ中々コタヘル、ソレデ、台所一切、オ使カラ、庭ノ草トリ、全部ヤルノデスガ、少シ、火鉢ノソバニ坐ハツテルト、気持ハ悪イラシイ、シカシ、サウ/\モ出来ンカラ、気持悪イノハ知ツテ居ルケレ共、火鉢ノソバニ坐ツテ居テ、時々皮肉ヲ云ツテヤリマス、禅宗ダケニ、話トナルト、中々面白イ処ガアリマス、今年五十八才ノ和尚ナレ共、足ガ痛クテ先ヅチンバ也、座敷中ヲ杖ヲツイテ歩キマス、チンバデモ、一人前ノ仕事ヲ、コチ/\ヤリマス、全ク、ヨク身体ガ動クニ、感心シテ居マス、アレデ、足ガ完全ダツタラドノ位、身体ヲ動カスノカト思フ。
 コノ寺ハ、板ノ間ガ非常ニ広イノデ、四ツン這ニナツテ、フクノデ、大体ガツカリシテシマヒマスヨ……
 扨、以上ノ事ハ、何デモナイ事也、茲ニ困ツタ事ハ、一寸以前ニ申上ゲタ事ガアルト思フガ、余リ、ヤリスギタノト、横暴ナノトデ、末寺(十ケ所バカリアリマス、此オ寺ハ中本山)ノ和尚連中全部カラ、反対サレテ、末寺ヲ離レルト云フ事ヲ申出シ、ソレカラシテ、寺ノ什器ガ無クナツテシマツテルトカ、ソノ他、金銭上、イロンナ関係デ、本山(妙心寺)ニ申出シ、遂ニ和尚ハ、本春、住職ノ名義ヲトラレテシマツテ、末寺ノ某寺ノ和尚ガ、兼務住職トナリマシタ。
 デスカラ、此ノ和尚ハ、今ハ、居候ノ様ナモノ、末寺ノ連中デハ、早クオ寺ヲ出テシマツテクレト待ツテ居ル、処ガ和尚ハ、例ノガマンデ(二ケ年スレバ、住職ニ復スル明文ガアルトノ事デス)コノ寺ヲ出ナイト、ガンバツテ居ルト云フ処……小生、コンナ事ハ少シモ知ラズニ来タ、妙ナコツテスネ……デスカラ、末寺ノ某僧ナドハ『アナタハ、エライ処ニ来マシタ、トテモ、アノ坊サンデハツトマラン、早ク京都ニ帰ンナサツタ方ガヨイ』トカ、『オ米ハマダアリマスカ』トカ、キク人モアルト云フ有様……オ察シ下サイ。
 ソレモ未ダヨシトシテ、困ツタ事ハ、和尚ニ収入ガ少シモ、ナクナツタ事也、イロ/\研究シテ見ルト日常ノ小遣、買物ニ対スル代金全部ヲ、先月モ先々月モ、一文モ払ツテ居ナイ、ソノ為ゾロ/\催促ニ来ル……小生ガ、コレヲ、コトワリヲシテ退去セシメル役……此ノ間ノ支払ノトキハ、妙策一番、玄関ノ戸ニ「支払ハ二十日ニシテ下サイ」ト、大キク張リ出シタモンデス、(カウナツテ来ルト、寧ロ面白イ)扨コノ二十日ニ払ヘルヤラ払へヌヤラ、今ノ処、雲煙漠々タリ。多分、払へヌ方デセウ、其ノ時和尚、如何ナル妙案ヲ出スカ、今カラ、タノシミデ見テ居マス………ト云フノハ、ヨク/\困ツテ、此ノ間、和尚ノ命ヲ奉ジテ、「軸」ヲ百本バカリ(ツマラヌモノバカリ)小生、某所ニ、カツイデ行キマシタ……イヤ、ソノ重タイ事/\……処ガ、ドウモ、之ガ、オ金ニナラン、或ハ又、和尚ガ、タテマシタ新家ヲ、担保ニシテ、オ金ヲカリルベク、役所ニ登記ノ事デ、小生ガ、数回行ツタガ、檀家、本山ノ承諾ナキ故トテ、之モペケ……ギリ/\ニナツテ来テ居マス、ソレニ、他ニ大口ノ借金ガアツテ、此ノ利子ヲ、サイソクニ来テルノモ有ル、トテモ、面白イ……。
 ソコデ、毎日ノタベ物ヲ、御ラン下サイ、米ハ、壺ニマダ半分程アリマス、味噌モ、桶ニ半分程アル、炭ハ俵ニ三分一程アル、………コレ丈ナリ……何ニモ買ハン(買ヘナイノダカラ)。
 オカヅハ、大豆ノ残ツテルノヲ毎日煮テ喰フ、味噌汁ノ中ニハ裏ノ畑カラ、三ツ葉ト、タケノコ(今ハ真竹デス)ヲ毎日トツテ来テアク出シテ、之レヲ、味噌汁ニ入レテ煮テ喰フ外ニハナンニモ、買ハン──
 小生、オ寺ニ来テ以来、毎日/\同ジ事ヲ、クリカヘシテ居ル、実ニ、シンプルライフ。
 アンマリ毎日、筍(カタクナツテ居マス、時ハヅレダカラ)ヲ喰フノデ、腹ノ中ニ、「籔」ガ出来ヤシナイカト、心配シマス、呵々、ソレト、大豆ヲ毎日/\煮テ喰フノデ、鳩ポツポノ様ダ、時々和命ニ「和尚サン、コノ豆ハ鳩ガ好キデスネ」ト、皮肉ヲ云ツテミルト、「サウヂヤ/\鳩ノ好物ヂヤ」ト、スマシテヰル。
 何シロ、エライ面白イ様ナ、ナサケナイ様ナ事ヂヤト思ヒマス。
 今度ノ私ノ俳句ニ「筍」ノ句ガ大分アリマスガ、ソノ「筍」ハ、右ノ事情ノ「筍」故オ察シ下サイ、竪クテ、味モナンニモナイ……
 扨、以上、コレ等ノ、オサマリガ、ドウケリガツクノカ、オ米モ大分、無クナツテ来タカラ、近イウチニ又『局面』ガ一転回スル事ト思ヒマス……其時又、御報シマス。
 
 
 啓、あなたの手紙を、くりかへして、見い/\書いて行く。
「筍の概念」は全くいゝ。実際、腹の中が、「スヂ張ッテ」行く様な気もちがする。未だ当分此の、「概念」の亡霊は、とつ付いて、はなれる事は出来ないらしいです。全く三合処ぢやない。スマ寺の件例ノ侠客から其后二度程今少し待つてくれ、直接帰山されては困るといふ風ニ申し来りしが、色々事情もこみ入つたものがあるらしいが、ダマサレタと思へばずい分、御念の入つたダマサレ方で、全く、其の「堂」に入つた物らしい。アンタは「喜ふ可し」と済ましてゐられるが、アンマリ気色の好いもんぢやない。第一、ウルサクてネ。「堂」にでも、ナンにでも這入るから「ウソ」はきゝたく無い。常称院に行つたのですか、全く、「衣」を一燈園に送つて来ましたよ。アノ坊サンもよい人だが、……此の頃、私は「坊主」といふものが、ミンナきらひになつて来た。「オ寺」はスキだけれ共、「坊主」ハキライだ。私に「衣」をくれて、未亡人から、(或ハ妾か)オ金を巻きあげた罪ホロボシにするのは少々虫がよすぎはすまいか、呵々……二人扶持オ寺」の件、御親切多謝/\。毎度ホントに御厚意感謝します。……ソンナオ寺の事は、私にも、再三、和尚が話して居りました。事実、「有るらしいです」……山科以外の処にもーー処でゞす、ーー大に考へて見るのですよ、……私といふものが、ソヲ云ふ風にオサマレル人間か、或ハ、コンナ風に支離滅裂で、フイと死んでしまふか、のたれ死をするか、ソヲ云ふ人間ぢやないかとも思つて見るのです……此の点まだ/\研究の余地がありますが、……
 妻ハ今の処まだ/\呼びよせるなどの時機に非ず、或は之も、永久に、ハナレ/\になつてゐるのかも知れないとも考へられる、何もかも、全部、ブラ/\してゐます。オ酒の事も、蜀山人(を決して気取るワケぢやないですよ)『ワガ禁酒も破れ衣となりにけり、ソレ、ついでくれ、ヤレ、さしてくれ』となるかも知れない。之ハ笑談だけれ共、かう云ふ「資本主義」というふものに、「ヒビ」が入りかけた妙な時代には私の様なッマラヌ人間が生れて、ソシテ、ッマラナク、フイと死んでしまふ事も、有り得る事かも知れない……兎に角、二人扶持寺」問題ハ懸案にして置いて下さいませ。御厚意多謝/\。又其の時、御配意を願ふ事あるかも知れぬ、まあ万事よろしく御願いたします。……誰ヤラヂヤないが、坊主ハ、仏教の「ブローカー」だから、「坊主」ヌキで仏教を吾人は研究するのがホントかも知れぬ。「オ寺」其のモノハ非常によいのだが、(坊主)といふもの、シマツにおへず、どうした事でせうね。
(中略)
 処デ当寺借銭坊主二十日の支払も、トテモ出来ない、ナントカ、ゴマカシテハ延期/\、ヅウ/\シイ事、実に鷲く・…・新聞ヤ(毎日新ぶん、サンデー毎日)に此間見たら十六円借リテ居マス、新ぶんヤがコボシテ居ル。新ぶんヤに十六円!ヱライデスヨ、以テ他ハ察ス可シ、借リタ奴も、借り夕奴だが、カス方モカス方也、借金トリモ、ナントカ、カントカ申シテハ、帰ッテ行くから面白い。此辺、田舎ですネ、五月の節句が、明日ダト云フノデ、鯉ノボリヲ盛ニ立テ、居ルノダカラ、皆旧暦らしい。……(此の間、小生、「衣」ヲカゝヱテ、古着家ヲ尋ネルナドノ芸当アリ、呵々〉……兎に角、ギリ/\迄来テルノデスカラ、此のギリ/\が何月何日ニ到着するのか、……見て居ませう。兎に角、変り過ぎて居ますよ。
 
 此の頃、ドッカ、「海」の見ヱル、ナル可ク、淋シイ村ニデモ這入つて、最低月給ヲモラツテ、高等小学位な処のオ雇教師シテクレナイカ、サカシテ見ヨウカト思イマス。寺小屋式デモヨシ(五字略)でもよし、『海』ニ沿ふ事が、ホシイ。中学ハウルサイから、高等小学(補修でも)位な処で、所謂、『公民教育』でも、(小サイ部屋デモカリテ、住ンデ見タイ……ドツカ、ヨイ心当りはありませんか、御願します。
 此手紙ハ、京都ニ出ス事シマス。(ワザ/\、「麻布」ヲ消シテ「東京にて」ト此間の手紙が、消シテアツタカラ)
 荻原様待史      二十四日 尾崎生
 
 
 
(葉書)
○淋シイ処デモヨイカラ、番人ガシタイ。
○近所ノ子供ニ読書ヤ英語デモ教へテ、タバコ代位モラヒタイ。
〇小サイ庵デヨイ。
○ソレカラ、スグ、ソバニ海ガアルト、尤ヨイ』済ミマセンガ、タノミマス、今、十二時ヲ打ツタ処、朝五時カラ、身体ノウゴキ通シテ、手足ガ痛ミマス、ヤリキレ申サズ候』
 第二信  コレカラ寝マス。
 
 
 
 啓、一二氏健在に有之侯、一二氏よりの電報及手紙御覧下されし事と存申侯、扨、色々の御事情の為御厚意ありながら一寸早い事には行かぬわけに有之候、その為、出発前御相談申上候通り、台湾行ときめ申候、最近出航十八日故、ソレニテ、所謂台湾落ときめ申侯、旅費三十五円、後援会基金(一二氏に大いにひやかされ候)中よリ御郵送御願申上候、ソレ迄、一二氏宅にゴロ/\して居るつもりなれ共、其間に一二氏の好意にてどつかよい処をあたつて見てやるとの御親切に有之候、但、かゝる事は急いではダメの事故、兎に角台湾行ときめ申候、サレド右の御願、北朗氏とも御相談下され、御郵送御たのみ申上候、一二氏宅にて作句して遊ばしていたゞいて居る間が極楽と存じ申候。
 ソレデハ御大切に、マタ、イツあへるやら、御達者を念じ申候、猶御願。
台湾行とイツシヨに、セツタ(船に乗るに便利故)と、アンタの、フダンの浴衣一枚御送り下され度候(ムギワラ帽はコチラで買ひます)れうちやんによろしく御礼申上候。
 此手紙一二氏へ御覧を願ひし上差出し申候 敬具。
 荻原様 榻下    十三日               尾崎生
    展墓の約はたします。
 
 
 
 拝啓、誠ニ突然ノ事デアリマス、恐縮千万御許シヲ乞ヒマス。先日、井師カラ御願シテイタヾイタ通リノ事情デ、何トカ御世話様ニナリ度イト思イマス。何分、己ニ四十歳ヲ超ヱマシタノデ、ハゲシイ労働ハ、到底、ツトマリマセン、ソコデ、簡単ナ御掃除ト御留守番位デ、ドッカ、庵ノ如キモノヲ、オ守リサセテイタヾキ度御願致シマス。ソレニ、小生、海ヲ見テ居レバ、一日気持ガヨク、之ガ、一番ビツタリ来マスノデ、之等ノ粂件ヲモッテ井師ニ相談シマシタ処、ソレデハ、一二氏ニ相談スレバ、ナントカ方法ガツクダロウト云フノデ、先日ノ御願トナッタワケデアリマス。誠ニ御イソガシイ中、恐縮千万デスガ、御助力御願致シマス。只今、オ寺ハ出マシテ、井氏宅ニ泊ツテ居リマス。イツソ、突如相済マヌカ、直接貴宅御伺シテ、イロ/\、御目ニカゝッテ御話シタリ御願シタリシタ方ガ好都合ダロウト云フ事ニ、井師ト御相談シマシテ、此ノ願状差出シ、小生、明晩力明后晩、当地出発、貴宅御訪問スル事トキメマシタ。誠ニ勝手千万ナ義デ無礼ノ次第デアリマスガ井師モ十五日頃ニハ帰京ノ事ニナツテ居リマスシ、旁々、ブシツケ乍ラ御伺スル事ニキメマシタ。何レ御目ニカゝツテ色々御願申シマス。何卒ヨロシク御願申シ上ゲマス。
敬具
 
井上一二様榻下    十一日朝 尾崎放哉
 
 
 
井 様    二十一日 秀雄
 啓、第一信(武二氏へ御願)御らん下サレシ事ト存申候。扨、愈、昨日、入庵、狭シトイエドモ、一庵ノ主人ト相成由候。人間ハドウナル者ヤラー寸見当ガ付キマセンネ。・…・井上氏、風水学ト云フモノヲ大変研究サレ居り其ノ御師匠ガ、国分寺ノ和尚様(高松駅ヨリ三ツ目ノ村)。其ノ和尚サンニ、是非逢ヱトノ事ニテ、小生御目ニカゝリシ事ガ今回ノ小生、南郷庵主トナリシ唯一動機ニ有之候。和尚ノ話シノ中ニテ左ノ点特ニ申上置候。○小生ガ、井上氏宅ヲ訪問セシ日ハ、小生ノ星トシテハ、「八方フサガリノ日」ナリシニモ不拘、夜ニナリテ、西光寺ヨリ、庵アル事ヲ知ラセ来り、タメニ台湾行キヲ中止ノ形勢トナリシ事、小生ガ、従来、正直シテ、人ニ対スル、アハレミ深ク、ウソヲ付カヌ……ソレガ遠因トナリテ、忽然トシテ暗中一炬路ヲ見出セシ也。○小生ノ先祖ハ大和ノ国ノ豪士ニシテ南朝ニ味方セシタメニ、大ニ、追ハレテ、山陰ノ地ニ入レリトハ小生ノ家ノ系図ニアル処、処ガ之レガ又、小生、此ノ地ニ来ル所以ニシテ、淵崎村、又殊ニ井上氏ノ家ハ、矢張り南朝ノ落武者ノ由、且、淵崎村ハ南朝亡命ノ人ヲ遠キ祖トシテ、爾来、寄行ニ富ミシ人ヲ生ジ、又、ソヲ云フ人ガ来ル処トナリ居ル、小生井上氏ヲ尋ネシハ、遠キ因縁アルナリ。○小生ノ祖ノ居リシ、大和ヨリ見テ、コゝハ西ニアタル、其ノ西ニ於テ小生ガコレヨリ光明ヲ見出ス事トナリシハ、即、西光寺ノ和尚サンニ、小生当然ノ因縁アリシモノニテ、疑フノ余地ナシ。○私ノ家ハ何代力前ニ、血ガタヱタ事アルタメ、夫婦養子ヲセシ事アル可シ……事実ニ候。○母方ハ、非常ナ名家ナルニ、目下ハ、見ルカゲモ無ク、衰ヱタル可シ(此ノ母方ノ衰滅ニ関シイロ/\面白イ話有之候)……事実ニ候、コンナ事実ハ、イタツモ/\アテラレ申候。○而シテ、小生ナルモノカ、尾崎家ヨリ生レ出デ、先祖ノ菩提ヲ、トムラウ可キ事ハ、遠クヨリ定アリ居リシ事ニテ、何ノ不思議ナシ、当然ノ因縁アリ。○等、等、等、……如斯シテ、入庵ニ決シ、小生モ此土地ノ住人トナル覚悟ヲ定ノ申候。何シロ、新世帯ヲハヂメル、ト回ジ事故、(庵ニハ一物モナシ、仏様ノ外ハ……オ大師様ト、オ地蔵様)鍋ヤラ、七輪ヤラ、井上氏、西光寺サンカラ、イタヾイタ物ノ外ニ、ヤッパリ、アレ、コレ、ト、一城ノ主人トナルト、イロンナモノガ必要トナリ来り、先日、御恩借ノオ金ヲモツテ、ソレニ当テタルワケニ有之候。扨、ココニ一寸困ッタ事ハ、此ノ庵ノ経済状態也。キク処ニヨレパ、春三、四月ノ頃ノオ遍路サンノトキデ、オ米ヤ、サイセンヲ、一年生活スル分ハ裕ニ、トル事ガ出来ルノデ、ソレデヤツテ行ク由ニ有之候。シカルニ、只今ハ一寸、時季ハズレ故〈タレモ御参り無シ)、来年三月頃迄、ナントカシテ喰ヒ扶待ヲツナイデ行ク必要アル一事也。井上氏ヤ西光寺サンハ、マア、心配センデモ、ナントカ、ヤツテ行ケマスヨト申シテ、クレラレ候へ共、御迷惑ヲカケルノモ、心苦シク、其ノ為メ、幸、此間、御厚意デ出来シ小生后援会ノ分ヲ無理押シ付ケハ出来マスマイガ、此際ノ事デスカラ、来年三月迄、モチコタヱテ行ク資科トシテ、口数ノ御世話ヲネガイ、ソレヲ、井上氏迄、送ッテオイテイタヾケバ、小生モ大変ニ、安心ガ出来ルワケナノデス。ドウカ、此ノ一件、北朗氏トモ御相談下サイマシテ、御願申シマス。来年三月迄ノ処ニ候。ナーニ、最少限度、簡易生活ヲヤル気デ、実ハ、「ソバ粉」ヲ「米」ノ代用ニ大ニ使フ考デ、サガシテ見タガ、目下、「新」ガ出ル迄ナイ由、ヤムナク「麦粉」……「ハツタイ粉」ヲ買ツテ来テ、大ニ米ノ代用ヲヤツテ居ル様ナワケ、サレバ、費用ハイクラモイルマイト思イマスが、食事ノ外ニ、サムクナレバシヤツ、ワタ入レモイルト思フシ、(他人様ニ寄托シタ今迄ノ生活トチカッテ、兎ニ角、一城ノ主人トナッタモノデスカラ、イロ/\ト自弁ガイルワケニ候、呵々〉旁、今カラ、例ノ后援会ノ方ノ御世話様御願ヒ申シマス。」今日ハ之丈、イソギ」。日常生活ハ又、ユツクリ、ボツ/\書イテオクリマス。
(北朗氏御同行ト思イマス故、コノ一文デ、別ニカキマセンカラヨロシク願ヒマス。)
 
 
 
 啓、先達而から、御いそがしい中を、いろ/\御願ひ計り申し茲に更めて厚く御ことわり申上ます。扨、今日はゆつくり書かせてもらひ度いと思ひます。
 其前に、一つ二つ、御ことわり申して置きます。此手紙の最後迄には、ツマラヌ泣事やら、御願やら、又落ちががく屋ばなしになる様な事があらうと思ひますから、どうか、此前の様に「俳春」なんかに出していたゞかない事を御願します。又、例により、お金がないので、原稿紙の裏面に迄書かせてもらひます。うるさがらないで其辺ウン、ヨシ/\と御読み下さいませ。
 扨、何から書いてよいやら、大兄の通信をいたゞかざる事久し。時々コレカラはハガキでもよいから下さいネ。扨かへり見れば、も大袈裟だが、一昨年、秋風落日と共に、妻は勿論、自分の「家」といふものを捨てゝ一燈園にとびこんでから正にご一年目、考へて見れば、ずい分流転したものです。ソレが此度、不計、小なりと錐も兎に角、一軒の「庵」の主人公として只一人、自由に起臥し得るやうになつて(他に気ガネ無くて)あなたにユツクリ此の手紙を書いて居るといふ事は何としても、落付いた嬉しい気分であります。所詮、死ぬ迄几俗の私として無理からぬ事と思し召し下ざい。偏に井師はじめ同人の御厚意のおかげと、お大師様の前に合掌せずには居られません。此の庵には、お大師様と、小さなお地蔵様とがまつつてあります。両方共、私の大好きな仏様であります。(仏様に好き、嫌ひも可笑しな話しですがネ)私の仕事は朝夕の庵の内外の掃除、仏壇の払拭、其外は句作か本があれば本をよむ、以外には何時でも勝手な時に、木魚をポク/\叩いて読経して居る事であります。様々な御経を時を定めずヤルのですから近所では、少々変に思つて居るかも知れぬ・…・近所と申しても、イクラもありませんのです。丁度、スマのお大師堂を独立さして、茲に持つて来たといふ処、私の落ち付けるワケであります。シカシタベ物は、甚かん単であります。(之はアトで申上げませう)御承知と思ひますが、私が井師と別れて京都を立つときは、多分小豆島がいけなければ、台湾に行くとキメテ而も、七ハ分通り迄は「台湾行」と内心ではキメて来たのであります。
 小豆島は、小生以前(全盛?の時代)一度来た事があるのでなつかしい気もあり旁来て見たワケであります。処が小生京都出発と同時にイヤ行違ひに、一二氏から「当分見合せる方よし」と井師宛手紙(且打電も)があつたのですから……「ヤツパリ台湾行かな」とキメて居たのです。処が、全く偶然に、西光寺の和尚サンから夜、オソクなつてから「庵一ツアク見込」といふ電話,……処が西光寺サンにもあはずに兎に角、四国国分寺に居る国分寺住職が風水学(人の運勢も見ます)の大家として井上氏も西光寺氏も信仰してる故、一度行つて見てもらへとの事。ソコで直に、四国に又渡つて、国分寺大和尚に御目にかゝつたのです。……此の頃の小生の心持は、実にドウなる事やら、ワガ身でワガ身がわからない、といふ白雲に乗つた様なもんで……扨和尚サンに逢つた処が……小生の先祖(大和の南朝方の武士)より始め小生の血属干系に及び、実に数万言を述べられ、結局、私が此度井上氏宅を尋ねた事、西光寺サンの庵に人る事等前世より既定の事実也、ユツクリ落ち付く可しと云ふ事(此辺の事は又委しく書きます)に相成申候(淵崎村が巳に南朝の亡命の士を先祖とせる処の由)小生、於茲、大に嬉しがり、安心し、四日より帰島し、此の由を両氏に物語り、早速西光寺サンより御話ありし、此の「庵」に入るといふ実に眼まぐるしい変化の上、只今、一人ユル/\と落付き居る処に有之候。只、此の「庵」の経済が、きく処によれば例の春三月頃、オ遍路サンの多い時にいたゞく「さいせん」と「お米」とで一ケ年分のタベル材料を得る例に有之候由、即、今は時候ハズレの霜枯時とて、来年三月頃迄、トニカクナントカシテ命をつゞけて行かねばならぬといふわけに有之候(ソレカラハ常態に入る事故)扨、井上氏や西光寺サンは「ナントカタベル位ハナルデセウ」と云つて下さるけれ共、……ネ……其所です……一燈園に居た如く、別に、ドチラ様の托鉢をして、働いて居るワケでなく只、一人で、呑気に「庵」の留守番をして居ると云ふ丈故、甚だ相済まぬ、心苦しい次第と思ふのであります。そこで、先日井師に御願したのは、先刻御承知の「小生後援会」(之ハ渡島前ニ出キタノダケレ共〉アレを押し付けるワケには毛頭行きませんが、右の事情御了察の上、来年三月頃迄として(小生のたべて行くだけですからイクラも要るまいと思ひます。析によれば「ソバ粉」や「麦粉」でお米の代用もさせ様と考へて、己に貰つて来て実行してゐる事もある様な有様……但、井上氏や西光寺サンは恐縮する程親切にして下さるのですが、……私として相スマヌのです)ソノ間ボツ/\其後援会の講中を作つていたゞいて、三月迄ヤラシテもらひたいと思ふのです。束京同人に対しても、アノ「後援会」なるもの、妙に誤解されはしないだらうかと、私は井師並に北朗氏にも話した程恐縮して居るのですが、右の情々に有之候間……此際、大兄に於て、ヨロシイ引キ受ケタ、と願ひ度い、そして東京同人には大兄よりよろしく御とりなし、且講中世話方御願/\といふ甚、虫のよいワケ……ザツとかいつまんで御願申します。なんとてしても、束京同人の了解を得る事と、マヂメで大兄に御ねがひ申して置きます。
 扨、此の「庵」の住み心持、庵の周囲の状況と云ひ、例の小生の大きな、海が小さい庵の窓から見える事と云ひ、長く落ち付けさうです。今の処では、茲で此の庵で死なしてもらひたい、とさへ思つて居ます。矢ツ張り因縁でせうか。三年間ずい分廻り/\して来たものだと思ひます。一体、世の中は、コウ持ち廻つて来るものなのかも知れませんネ。
 最後に一寸、妻の間題にふれて置きます……妻の御知己を得てゐる、夢人君と外の只一人の大兄として……此問も井師に一寸話しましたが、妻は矢張り遠方に離れて居りますが、例の『手鍋さげても』といふ徹底生活を好まないのです。矢張り『体面論者』であります。彼女に「手鍋さげても」が出来ない所以は、蓋し私の「人格」の「小サイ」結果でありませう。私に「誠意」が足りない結果であらうと思ひます。彼女の手紙には、イツもキマッツタ様に、……『私は、必職業生活をしてお金をもうけて、そして私を引き取つて、昔日の豪奢(?)な生活をさせてあげます。それ迄は必待つて居なさい』と申して来るのであります。私は「彼女」の言を信じて、此の庵にイツ迄も/\待つて居る考であります。而して、或は、此の庵に於て死んでしまふかも知れません。井師は『そりや君の妻はヱライネ長火鉢の前でヤニ下ツテル女髪結の亭主の様に、今から「丹前」の用意が必要だ』と申しました。私も是非其の「丹前」の用意をして待つて居る考で有ります。さうして大に……其時……大兄を羨望せしめよう。而し、私は「勇気」に於て「熱誠」に於て、常に彼女を謳歌して居ります、そして感謝して居ります、そして、常に健全なれ、幸なれと毎月オ大師サンに合掌する事を忘れないので有ります。御承知の通りの美容を洋装に包んで《満洲に居たとき、ハルビンや長春では彼女はよく洋装をして、平気でケトーの間をトンデ歩いて居りました。……コウ書いて居ると其の姿が目の前に見える様であります》……丹前姿の私と二人が、東京の街を自動車でとばして居るのは何年将来の事となりませうか。私は此期待に生き又此期待をもつて死ぬかも知れません……彼女の美容など云ふと裸木氏なんかにナグラレルかも知れぬから、……秘密に願ひます……なんだか半ば真面目な様な半分皮肉な様な書き方で恐縮千万、アア万事御察しに一任します。……面し、「桂子夫人」の如く死んだ人はムシロアキラメがつき易いかも知れぬ……いつかも井師に云つた事だが如何……如何・…久しふりに妻のノロケを書かしてもらひました。御許し下さいませ。
 余り長くなりますから、之でやめます。御願ひやら何やら、ゴチヤ/\で偏に御許し/\。
 之からは句作に没頭します考、……層雲、俳春、茲宛に御恵送下されば、難有存じます。読むものあればなんでも送つて下さいませ。 敬具
 (鍋からカマからタワシから貰ひ込む、まるで新世帯をもつ騒ぎに候)……其新世帯の只一人、南郷庵主人 放哉
(台湾のリヨヒを沼津にコサヱにつたときは、電報やら何やら、難有う御座ました)
 
 
 
 井様                           放哉生
 今日の手紙ハ「秘中の秘」といふ手紙……ソレハ、カウ云フワケ也……一日、井上氏が、ヒヨツトヤツテ来テ、実ハ、其後、西光寺サンニ聞イテ見ルト、此庵ノ来春三四月迄ノ収入ハ、全部デ百円程也、其中カラ、原価四五十円ヲ差引クト、残リハ五拾円程也、ソレデ一年ヲヤツテ行カネバナラントノ話、ソレデハ、トテモ出来ナイ、今迄居タ人ハ、葬式ガアレバ其処ニ行ツテ手伝ツテ、晩めしヲ喰ツテ来ルト云フ様ナ風ニヤツテ居タノデ出来タサウダガ、私ニハトテモ、ソレハ出来ヌ事ダシ、大イニ困ツタ……トノ事、之ニハ小生モ実ニ困リ入リ、驚キ入リ、折角死場所ヲ得タト思ツテ喜ンデ居タ処へ、マルデ、不意ニ、九天直下ニ落サレタ様ナ気ガシテ、例ノスコヤケノ気ニナリ、矢ツ張リ台湾落デノタレ死ヲスルカ、ト、ヤケナ態度ニ出カケタレ共、大イニ考ヘテ、○芋ノオ粥デモタベテ行ケバ五拾円デモヤレヌ事ハアルマイ○夜分デモ、小供ニ英語ヤ其他教へテモ、小遣位ハアガルデアラウ○其他西光寺サンハ、アト、二三ケ月スレバ、他ニ一軒ノ庵ガアク、之ハ、悠々一年喰ツテ行ケル米ガアガルト云フ話ヲキイタ事ガアル……以上三方法ノ中、ドレカトレバ、ヤツテ行ケヌ事ハアルマイト井上氏ニ相だんセシ処、井上氏ハ、ドレモ余リさん成セヌラシイ、ソシテ、一度、所用旁、京都ニ出テ、アンタにも相だんし、或ハアンタニ此島ニ来テモラツテ、西光寺サント、アンタと、井上氏と三人で相談シタラ、名案ガ出ルヤモ知ラヌトノ事、私が云ふのニ、ソレハ井師とても、困りはしないか、別ニ名案ハアルマイと思ふが、ソレヨリ、アナタガ西光寺サンニ、ゴエンリヨなすつて居る様子ダが、私が西光寺サンニ直接ブツカツテ、腹蔵ナイ処ヲキイタ方がヨクハナイカト云ツタ処が、井上氏ハ、ソレハヨカラウトノ事デ、西光寺サンニ私がアツテ話シテ見タ処が、西光寺サンハドウ云フモノカ、大イニ私ヲヒゴシテ、ソレハ井上氏ノ御心配ニハ及バヌ、私が、ナントカシマス、ソシテ、二三ケ月スレバ出来ル庵、(一年分クヘル庵)ニ入レテアゲテモヨイシ、兎ニ角、私ニ一任シテオイテ下サレバ、ナントカシマス、但、私ガ井上氏ヲサシオイテ、アナタヲ保護スルト云フ事ハ、出スギカモ知レヌ故、私ガアナタを万事世話シテアゲルと云ふ事ハ、井上氏ニハ極内密ニシテオイテ下サイトノ事ニて、全く誠意カラ出テヰル言葉デ、大イニ感泣シマシタ……ドウカ、アナタカラ此点ニ関シ、西光寺サンニ、特ニ御礼状出シテ下サイマシ……アナタニハ此事ヲ申シテヤルト、西光寺サンニ話シテオキマシタカラ……(中略)ドウヤラ、私モ、又、ヤケヲ起サナイデモ、朝カラ、木魚ヲ叩イテ、句作シテ居レバヨササウデス、御安心下サイマセ……シカシ、一時ハ全ク途方ニ暮レマシタノデス、私ノ「業」ガマダツキナイノカト、実際、又、流転ノ旅ニ出ルノカト、泣キマシタ、シカシ、右様ナ事トナリマシタ故、トニ角、此島デ死ナシテ貰へル事ニナルラシイノデス、処デ西光寺サンニ、其辺ノ御礼状、何卒々々御タノミ申シマス。(下略)
 
 
 
  井 様      二日              放生
 啓、今日ハ二日、和倉カラノハガキイタヾキマシタ故、日程ノ予定通リ茲一両日中ニハ御入洛ノ事ト思ヒマス」扨テ、色々変ツタ事ヲ申シ上ゲテ、又、放哉がダマサレタカナナド、狐ニツマヽレタ様ナ処ガアリハシナイカト思フカラ、其後ノ情報ヲ一寸申上マス」西光寺サンハ、前便申上タ通リ「アナタノスキナ時迄、御出下サイ、失礼ダガ、金銭上ノ少々ノ御助力ナラバ、御心配ナク申シテ下サイ、毎月、オ留守番(庵ノ)代トシテ差上ル事ハ、私ノ心持トシテ全ク自然的ニウレシイノデスカラ、遠慮シテ下サルナ(中略)大体、以上ノ如ク実ニナントモ、感泣ノ外ナシ……只、井上氏ハ「二タ月ヤ三月寝テ遊ンデ居タ処デ、自分ノ家カラ、米デモ、ナンデモ持ツテ来ルカラ、平気ニ静養ナサイ……何レ、オ盆ガスンデユツクリシテカラ、用件ヲカネ、一度入洛シテ、先生ニアツテ、名案ヲ出シテモラハウカ、又ハ島ニ一度来テモラツテ、西光寺サント私ト三人デ相談シタラ、名案ガ出ルカモシレン、マア、ソレ迄ハ、ユツクリ寝テ、静養シテ居タラヨイデセウ」……大略サウ云ツタ様ナ処……実ハ小生此ノ三年間、流転ノ旅ニスツカリツカレマシタ、ソレデ、安定ノ地ヲエタイ……(台湾ニ行ク考モ、モトハ茲カラ出タノデスガ)身心共ニ疲労シタノデス……処ガ、ハカラズ当地デ、妙ナ因縁カラ、ジツトシテ、安定シテ死ナレサウナ処ヲ得、大イニ喜ンダ次第デアリマス……『之デモウ外ニ動カナイデモ死ナレル』私ノ句ノ中ニモアリマスガ(昨日、東京ニ百句送リマシタ中)只今、私ノ考ノ中ニ残ツテ居ルモノハ只、「死」……之丈デアリマス、積極的ニ死ヲ求メルカ、消極的ニ、ヂツトシテ、安定シテ居テ死ノ到来ヲマツテ居ルカ……外ニハナンニモ無イ……ソレト関聯シテ、コヽ一週間程、私ハ自分ノ生活状態ヲ変更シテ見マシタ……ソレハ「米」ヲ焼イテオク事デス、ソレカラ「豆」ヲイツテ置キマス、ソレト、「塩」「ラツキヨ」「梅干」ノモラツタノガアリマス、ソレト「麦粉」「オ砂糖」……以上ダケシカ私ノ身体ノ中ニハイルモノハ一品モアリマセン、勿論、魚ナンカ少シモタベマセン……「焼米」「焼豆」ハ中々竪クテ、一日ニ少シシカタベラレマセン……ソシテ、番茶ノ煮出シタノト、前ノ井戸水トヲ、ガブ/\呑ム事デス、一日土瓶ニ四ハイ位呑ンデシマヒマス……腹ガヘツテ/\何ノ仕事モ出来マセン、立チ上レバ眼ガクラ/\トマヒマス、ソシテ妙ナ事ニハ、時々頭痛ガシマスネ……ツマリ、私ハ例ノ断食ヘノ中間ノ方法ヲトツテ見タノデス……果シテ、之デヤツテ行キウル自信ガツケバ、井上氏ニモ西光寺サンニモ、何ノ御心配ヲカケナクテモ、此儘、此ノ南郷庵主人トシテ、安定シテ、死ヌ事ガ出来ル……之ガ何ヨリノ希望ナノデス、今日デ、一週問位ニナリマスガ、ナントナク身体ノ調子ガヨクナツテ来テ、之ナラヤツテ行ケルカモ知レマセン、ソシタラ実ニ万歳デス……ソシテ、身体ガ衰弱シテ、自然、死期ヲ早メル事トナレバ、実ニ一挙両得ト云フワケデ、益々万歳デアリマス……(妙ナハナシダケレ共、小便ムヤミニ行クケレ共、大便ハ一向行キマセンネ)……未ダ申シ忘レマシタ、一度腹ガヘツテタマラヌノデ、西光寺サンカラ「ジヤガ芋」ヲモラツテ来テ、「三ツ」煮テ、塩ヲツケテ、一日タベマシタ、大イニ腹具合ガヨイデス、此島ハ「サツマ芋」ノ産地ノ由故、時々「芋」ヤ「大根」ヲ井上氏ヤ西光寺サンカラモラフ位ハ、ナンデモナイ事ト思ヒマス……此生活様式ガ、ホンモノニナツタラ、大イニ喜ンデ下サイ……未ダ一週間デスカラネ、但、ドウシテモ、ヤツテ見ル考、サウナレバ、ドナタニモ心配カケナイデスム……ソシテ、唯一ノ残ツテ居ル希望ノ「死」ヲ、最モ早ク、ソシテ、安住シテ、自然ニ、受入レル事ガ出来ル……ソシテ、只、ソレ迄句作ヲ生命トシマセウ、(ソレ迄トハ勿論、死ヌ迄デスヨ)今日ハ、オ盆ノ仏様ノブドウヲ少シタベマシタ、ウマイデスネ……ドウカ此ノ私ノ生活様式ガ成功スル様、心カラ念ジテ下サイマセ……何シロ、急ニヤラズニボツ/\ヤツテ行ク考デ有リマス……ソレデ、矢張リ、「後援会」ノ方ハ、前便ノ通リニ計画シテ下スツテ、御保管ヲ願ヒマス……ソシテ、井上氏ナリ、西光寺サンナリニ、ヤムナクオ借リシタオ金ノ支払(生活費、タバコ代、シヤツ代ト云ツタ様ナモノ)ニアテヽモラヒタイノデス、此間モ、私、二三人ニ「押シ付ケ」デハ無ク、願ヒ状出シテ見タ処ガ(同人ノ中デ)大分、「脈」モアル様子、ドウカ御願申シマス……但、此ノ私ノ「生活様式」ガ完全ニナレバ、……日ナラズシテ、其必要無キニ至ルヤモ知レマセンシ、又、例ノ「死」ガ到来スレバ、葬式代(国ノ兄姉デモ出シテクレマセウガ)ノ一部ニナツテシマフカモ知レマセン、マア笑談ハヌキニシテ、此上トモニ、御世話様ヲタノミマス、ソレカラ、甚申上兼ネル次第デスガ、例ノ大部分台湾行ノ考デ「浴衣一枚」キタキリ雀デトビ出シタモンデスカラ、時「秋冷」トナルト、シヤツナリ、ヅボンナリ「袷」位ホシイ、羽織ニハ、例ノ、常称院カラモラツタ「道行」ヲ着ル事トシマス、ソレデ、ソンナ物ノ費用トシテ、井上氏宛ニ送ツテイタヾイタ、三十五円ノ旅費ハ(此家ニハイルニツイテ、買ツタ、鍋トカ、ドビントカ、其他共)大部分ハ費消サレル事卜思フノデアリマス』只今ノ処、井上氏ノ処ニアル中カラ十円位、残シテオイテ、其以外ノ金デ「秋冷」ノ用意ヲシテ、扨此ノ九月カラ、新ラシイ「生活様式」ノ実行ニハイル考デ居ルノデス、否已ニ実行シテ居ルノデスガ……目下ハマダ、フラ/\シテ、大抵横臥シテ居ルノデス……其中ニハ必ズヤ元気ガ出テ来ルト思ツテ居リマス……
 ホントニ、今ノ簡易生活ガ(只今ノ様ニ、少シ大風ニ吹カレルト、スグ、ブチタホサレサウナ、ヒョロ/\デ無クテ、少シ腹ノ底カラノ元気ガ出テ来テ)……ホンモノニナツタラ、一ケ月ノ食費ハ、ホントニ、オ話シニモナラヌ程ノモノダラウト思ヒマス……ソシテ、悠然トシテタツタ一ツ残ツテ居ル、タノシミノ「死」ヲ、自然的ニ受入レタイト思フノデアリマス……ドウカ、成功スル様ニイノツテ下サイ。
 
 
 
荻原様  十一日  放哉生
 啓、今日ハ二十三日でお地蔵様の日(島ハミンナ旧暦ですネ)朝、西光寺サンが見えて、お地蔵サンを奇麗に掃除して、ソレカラ二人でいろんな話をして帰られた処です。御手紙難有う。昨日ハガキを出した処です。(前の百姓家の小サイ小供を使つたので、ウマク入れたかどうかと、ナンダカ心配になつたもんだから)
 北朗氏妻君を心配しながら十二時すぎ迄話すとは羨望/\。
 といふのは、此間一寸申上た通り、こんど、家内とは無期限の音信不通といふ事にしてしまつたので、今、全くの一人ポッチ、其のためフット、羨望の気が起つたのです。いろ/\と御親切の御言葉感佩/\。入庵以来、「入庵食記」といふものを書いて居るのです。(将来の参考に面白いと思つてネ)いつかタマツタ頃見てもらひます。食事と身体との関係を見るに面白いと思ふのです。焼米ハ矢張リヤリマス。シカシ中々人間の身体といふ奴は強いもんですから、無暗とフラ/\消えて無くなつてしまつたら、ソレコソ、自然消滅はしないだらうと思つて居ます。但、今の処元気ハ大いに無いでスネ。ソシテ、痩せる事も事実らしい。が、ドウセ、ホリ出して、客観的に見てゐる自分のからだ故、割合元気に行き得るだらうと思つて居ります。マア/\面白いですよ。「門外不出」をやらうと思つて居るが、ソウモ出来にくい。入庵以来、此間井上氏宅に一度行つたのと、西光寺サンに二度行つたのと、ソレキリ。半月程の間に、風呂に一度入れてもらつた。ヤレバヤッテ行けるものですネ。
 本日ハ末頃マデ居られるワケですネ。至嘱/\。来年ハ早々又御帰洛の由、旅行をやめて原稿ですか。昨日、武二氏へ百句送る。毎日、十句ハ最小限ニ作るのですから、自分ナガラどういふ風に変つて行くか知らんと、たのしみにもなります。今俳諧叢書の名家俳文集をよんで居ます。古いものは中々よいですネ。少し古いものが読みたい気がする。以前、明治三十三四年頃か、タシカ、俳書堂(?)からイロ/\な古い本を小さい単行本にして出しましたネ。(句集もいろ/\ありましたナ)アンナ本、今スツカリ集めて、又見なほして見たいといふ気持がするのであります。御いそがしい事だけれ共、たくさん送りますから、ドシ/\見て下さい。以下こんな事眠む気ざましに書いて見ませうか。
 一二氏ハ私の想像して居た通り。(中略)例の最初、「風水学」の易で、「春迄辛棒して居れば、ソレカラハ一年中の食費は十分ある、ソレデ、夫婦でヤツテル人も島ニハタクサン有る」テンですから敗残の小生、大いに喜びましたネ。全く神仏に御礼申して、「我が命猶あり」と有項天になつて喜んだのも無理ないではありませんか。ソレガ、物の一週間モタゝヌ内に、突然、フラリとやつて来て、「ドウモ、前ニ話した通りには行かぬさうだ、マア、二月カ三月カ、避暑の考で遊んで居給ヘ、ナンデモ自分の処から持つて来るが、一寸イケヌとなれば、方法を変へねばナラヌから、京都に行つて、井師に相だんスルカ、井師を島に連れて来るより外ないと思ふ百サウナレバ、君、島を巡礼してはどうだい、……実ハネ(中略)……」と来たものです。於裁、「有項天」ハ直チニ「奈落」の底に落ちざるを得んではありませんか、止んぬる哉/\。(中略)但大いに考へてしまひましたよ。
 其夜です、某酒店で只一人、大いにあふつて、ソレカラ、仏崎といふ処から(月明でした〉漁師の子、(浜に遊んでゐる)を四人、(十四五歳を頭〉乗せて之に舟を漕がせ、舟中、一人デ、ガブリ/\といふ妙な場面があつたのです。(此時ハ、……又、台湾カナ?……ソレトモ……イロンナ事ヲ考ヘテ、泣イタ……カモ知レマセン)シカシ、大イニ考へなほして、西光寺サンニ面談した結果が、今日のめでたし/\となつて来たので、人間ハ短気を起すもので無いと、ツク/\思つた。其後、順調益々順調、オ酒ハ其ノ晩きりで、一杯も手ニシタクも無し、只焼米/\といふ処、(但、井戸水が少々塩ツカライデス)処が此間久しぶりに一二氏を尋ねた処が、話しも大に調子よく『僕が君のタメに色々計画してゐても、オ酒を呑まれてハ、サッパリだから、ソレ丈クレ/\もたのみます』……といつた甚だオダヤカナ調子、……矢張り、西光寺サンとも、話しが円まんに出来たのだらうと思つた事です。……一二氏よ。心配する勿れ、アノ晩の酒は、(或は、春秋の筆法カモ知ランガ)君が呑ましたのだ。己に見られる如く、ソレ以来、一杯も手にせず、焼米と水で如斯、形容枯橋して居るではないか、……之を将来の事実に見よ……少しは、外形丈でなく、吾人の腹中に這入つて、同情心……否、「人間の心」を惹起してくれ、』と云ひ度い処なのです、呵々。
 目下益々順調/\。こんな事、ムカシ語り、ツイ、筆にまかせて書いて見ました……丁度アンタがトナリの部屋で原稿を書いてるのに話しかけて居る様な、軽い気持で……(後略)
 
 
 
 啓、今朝御ハガキ拝見、あなたの小生の句に対する批評を見て、一寸面白かつたから、少々書いて見ませう。いくらかでも今後の御参考になれば幸と存じますので、全体私は議論や理窟が大嫌ひでイキナリ実行に取かかる男なのですが今日は、よい機会と思ひますから少し書いて見ます。『理窟が嫌ひな為に或時期からムヅカシイ本を読むことを一切やめて居ります。従而新聞紙なんかもズイ分長く見ません。此の儘で今暫く通して見たいと思つて居ります』、扨アナタの句評に『自己をはなれた自己が何処にあり得るか?『此の場合の自分は概念の自分ではないのか?『自分のホントの魂が第二の概念の自分を探して居るのか?『それともホントの魂を概念が探してゐるのか?等の疑問があるのですが、実はその一ツも的にあたつて居ないのです。アナタの疑問は、皆ソレ矢となつて他にとんで行つてしまつて居るのです。(此の句の私の心持は最後に書きます)、扨何故でせうか?何故的をはづれてしまつて居るでせうか? 茲ですよ手ツ取り早く根本問題から話しませう。俳句は哲学ではありません。論理学でもありません。況ンや心理学でも三段論法でもありません。俳句は「詩」なのです。私をして云はしむれば寧ろ「宗教」、なのです。「宗教」、は詩であります。決して、哲学ではありません。之を論ずることになれば、頗る長くなりませう。私は只結論をコゝにあげてアトハ賢明なアナタの解釈に任せませう。ッマリ「詩」であるべき「俳句」をアナタは之を哲学から或は又論理から批評されるから皆的がはづれるワケなのであります。俳句は詩であり、宗教である筈であります。私の句は……ですから……『コンナ事をしたり、考へたりして居るのは果して自分だらうか? 平生の自分はコンナ事をやつたり、考へたりすることはナイ筈ナのだが………而ゼ事実やつてる……シテ見ると矢ッ張り自分は自分なのかな?……ナンダカ分らなくなつて来たゾ、自分なのか、自分でないのか……どうだらう?……其茫然として、自己が「空」になつてゐる端的の表現と思つて下ざればよいのです。「探してゐる」といふ事は云はば「詩」のアヤと云ふものでありまして之はホンノ軽い意味のもの、探しても探さなくても実はドッチでもよいのですよ。ソレをあなたは哲学的に此の「探す」、に引つかかつてしまつたからドウにも、しかたがなくなつたワケであります。……ホンの之丈の意味なのです……「詩」としてはそれでよいのであります』元来「歌」は入るに難く這入つてしまえへば、ヤサシイが、「俳句」は入るに容易で、扨、這入ると、ソレカラがいくらでもムヅカシクなつてくるといふのは古来定説であります。全くの事で、之も早く説明すれば、全人格を作ることがホントの俳句を産むのですから、ムヅカシイ、わけです。古今の俳書を通覧して、ソレデ俳句が出来ると思ふと、大間違ひです。況ンや近代の所謂、新傾向の句集や、俳論だけを見てソレデよい句が出来ると思ふナドは寧ろ悲惨であります。ソレハ器用な場アタリの「句」は出来もしませうが、ホントの詩としての俳句は出来るものではありません。「俳書」のみならず、俳句以外のアラユル研究をし尽して、ソシテ人格がダン/\向上し、完全になつて行くに従つて、ヨイ句が出来るワケであります。俳句は人格の反射ですから」。デスカラ「句」以外のアラユル物の研究材料が「ミンナ」表現サレル、俳句の内容を知らず/\形作つて行くのであります。……此の事はよく井師とも話しあふ事実であります……近来北朗氏が大いに此点に感ずる処あつて「茶の湯」の研究をはじめ、又禅学の提唱をきいて居ます。其の結果でせうか……北朗君の句は近来非常に変つて来ました。……本人も先日さう申してゐました。裸木氏の句も此頃少々変つて来たソヲであります。私も、俳句は十五六歳の頃、子規存命中からやつて居りまして「一高時代」は中々盛ンにヤリマシタ。其の頃、井師は私より一級上で「愛桜」と云つて居られたのです。其の後、世間の仕事に引ッパラレて、ブラ/\して居たのですが、一寸した機会から又熱心にヤル様になりました。今では私にはナンニモ残つて居るものは無いのでありまして、只々俳句丈であります。之れ丈で死なせてもらひたいと祈念してゐる次第であります。(此の辺の事は最近「層雲」に一寸したものを久しふりに書くことになつて居りますから其の中に書いて見る考へであります。読んで下ざさいませ〉。何だかゴタ/\書きました。今度庵を訪ねられてもコンナ理窟は、最早一言も申しません(之が私の主義ですから)、只世間話しがきき度し。若し此の手紙がイクラカでも御参考になりましたら、御帰省後、同人諸君に御話下さいませ。放哉はコウ云ふ考へをもつて居るとネ。之で失礼。
 星城子様        一四・九 放哉生
 
 
 
   井 様        十八日(旧八月一日)   放哉生
 啓、原稿ヤラ何ヤラ毎日御いそがしい事と思ひます。二十五日頃ニハ御帰京の由故、大分押し迫つて来ましたネ。当方其後、益ゝ平穏無事、朝から、無言独居の焼米生水生活を継統して、愈ゝ順調に有之候。感謝の言葉が無い故、別ニ何も申しませず、只御察しを乞ふのみ。大分秋らしくなりました。一日二日の雨で、島ハスツカリ秋風落莫、肌寒くなつて参りました。京都はどうですか。イツモ/\、ウルサイイヤな手紙ばかり申上て御許し下さい。只、アナタが御帰京迄に是非別紙丈ハ、小生、将来に対する計画としても、一度見て置いてもらひ度い。必要な事だつたものですから、少々書いて置きました。只お忙がしいでせうが御らん置き下さいませ……今后はも早や、ウルサイ手紙は差上げぬでもよいだらうと思つて居ります。デハ御免下さい。
 れうちやんによろしく願ひます。眼がわるい様だつたが、眼鏡をかけぬと、脳が悪くなつた人がたくさんありますから、用心した方がよいでせう。サヨナラ。
 ○原稿紙、裸木氏ニ御タノミ下サイマシタサウデ恐縮シマス。
 ○時二又、「雑誌」ガ、ナンデモヨイカラ、送レタラ送ツテ下サイマセンカ。御願申シマス。
 
別紙
今日ハ一日朝カラ雨デ手紙モ来ヌシ、勿論オ参リモ無シ。ソレデ、今月末ニハ是非報告セネバナラヌ事ヲ、ボツ/\書イテ見ル気ニナリマシタ。其ノ報告ニ先立ツテ、次ノ事ヲ御承知願ヒ度ト思ヒマス。
 ○私ハ多年ノ宿願ヲ達スル事ガ出来夕。(全ク、アナタノ御カゲデアリマス)其ノ宿願ト申スノハ、即、「独居」「独棲」ノ願デアリマス。一燈園ノ奉仕生活ナドハ私ノガラニ無イ事デ、会社ニ居夕時カラ、「一人ニナリタイ」「只一人デダマツテ暮シタイ」ト云フ考ガ去ラナカッタノガ、トウ/\実現シタワケデアリマス。私ハ幸福ナ男デ有リマス。
 ○右ノワケデ有リマスカラ、私ハ最早ヤ、絶対ニ此ノ庵ヲ動カヌ決心ヲシマシタ。此庵ヲ出テ、又、他人ト口ヲキク生活(タトヘ…・遍路ナリトモ)ニハ絶対ニ這入ラヌ。此ノ「独居生活」ヲ破ルナラバ、死ヲ選ンダ方ガヨイ。此ノ南郷庵ノ部屋ノ具合、近所ノ具合、山ノ調子、其他全部ガ私ノ気ニ人リマシタ。デスカラ、西光寺サンノ御話ガ有ッタ、例ノ、一年ユックリ喰ッテ行カレル収入ガアル、シカモ二階立テノ、又、海ノ景色ガ、猶非常ニヨロシイト云フ、其ノ庵ニモ、(若シ、西光寺サンガススメテ下スッテモ)行カヌ決心ヲキメマシタ。ソシテ、此ノ南郷庵デ、独居シテ、一日、ダマツテ、暮シテ、(ドウセ、ソンナニ長クモ生キラレナイ様ナ気モシマスカラ)悠々ト天命ヲ果サセテモラヒタイ。只オ大師サンノオ掃除ト、朝夕ノ御光リトヲアゲテ、ソシテ俳句ヲ作ラセテモラツテ、……此庵ハ出マイト決心シタノデアリマス。
 ○近所ノ人モ親切ラシイ人モ見付ケタシ、又、私ガ法学士トイフ事ヲ、オ寺カラキイタトカデ、サウ、ドシ/\、下ラヌ事ヲシヤベリニ余り村人モ来ナイ傾向ニナッテ来マシタカラ、愈ゝ朝カラダマツテ居ル生活ガ堂ニ入ツテ来ル次第デアリマス。
 オ酒ハ少シモ呑マズ、イツ覗イテ見テモ、机ニ向ッテ本ヲ見テ居ルカ、何力書イテ居ルモノデスカラ、ヱライ人ダ/\ト云ツテル人モ有ルト云フ話シ、……カウナッテ敬遠サレゝバ、猶結構、ウルサクナクテ、独居無言ノ生活益ゝ光彩ヲ発揮シ来ルワケニ候。
 処デ、此ノ庵ニ居ルトキメマスト、例ノ生活費ノ問題ガ伴ッテ来ルノデス。之ヲ二ツ二分ケマシテ、
 (一)来年三月頃迄ハ(オ遍路時期トナリ、収入多クナル迄)御厚志ノ結果ノ後援会カラ出来ル事ナラ、毎月、五円(一ト口)宛、送金シテモラフ、即十月カラ、毎月、五円イタヾイテヤッテ行ク事。
 (二)三月以降……西光寺サンナリ、井上氏ノ話ニヨレバ、御遍路時期ニオケル此ノ庵ノ全収入ガ、オ金ニ換算シテ約百円、其ノ内、蝋燭ダトカ、線香デアルトカ、原価ノ費用丈ハ差引カネバナラヌカラ、之ヲ引クト、五十円残ル、(之デ一年ヲヤツテ行ク事ハ、トテモムヅカシイト云フ、此間ノ井上氏トノゴタ/\トナリシ一件ニ候)……此ノ五十円デ一年ヤラネバナラヌ、之ヲ、大体ノ勘定トシテ、毎月五円宛トスルト、年二六捨円トナル、一年ニ捨円不足トナルノデスカ、マズ、ソレハナントカスルトシテ、不取敢、毎月五円デ生活シテ行ケバ文句無シト云フ事ニナリマス。
 〈勿論、後援会ノ口ハ三月迄デ打チ切リト致ス事トシマシテ、他カラハ一文モ這人ラヌモノト見テ)
 扨……之ニ対スル方策デアリマス、
 (一)……三月迄ニ対シマシテハ、最初、西光寺サンハ勿論井上氏モ「三月迄辛棒スレバ、アトハ、ドウデモナルノダカラ、……マア、三月迄ハナントカカトカシテ、追付ケヨウジヤナイカ、入用ノモノハ井上氏宅カラ持ツテ行ケバヨイ」ト云フ様ナ調子デアツタノデスシ……タトヒ……ソノ気持ガ変ッタトシテモ、時々、「芋」ダノニ「豆」ダノ「醤油」ダノ、モラフ位ナ事ハ、先生等ニトリマシテハ、ナンデモアリマスマイト思フノデス。ソレニ、後援会ノ方カラ毎月五円宛来ルトシマスト、井上氏モ、ソンナニ細カク云ッテモ居ルマイト思ヒマス。且、西光寺サンガ、御承知ノ通リノ非常ニ万事ニ気ヲ付ケテ下サイマスノデ、コゝ三月迄ハ、比較的マズ楽ニ行力レルダロウト思フノデアリマス。
 (二)……三月以後デアリマス。
 コゝデ、私ノ只今ノ生活方法ニヨル費用ノ点ヲ申上ル必要ガアルノデス。
 只今迄ヤツテ来夕生活デ、十分ヤツテ行ケルト自信シマシタノデアリマスガ、「焼米」ハ一日ニ一合中々食ハレナイノデアリマス。シカシマヅ、一日一合ト見マシテ、白米一升五十銭ダサウデスカラ、一ケ月ニ三升ノ焼米ヲ食フトシテ、壱日五十銭ノ米代デアリマス。其外ニ入用ノモノガ、
(A)豆ヲ煎ツテ食ヒマス、此ノ豆代……大シタモノデハアリマセン。井上氏デモ寄附シテクレタラト思ツテマス。
(B)サツマ芋代ジヤガ芋代……之ハ、焼米丈デハ腹ガヘリマスノデ、煮タリ、フカシタリシテタベマス。之トテ、ソンナニタクサン、トテモタベラレルモノデハアリマセン。「俵」デ買ツテ、保存シテオイテクレル様ニ井上氏ニ頼ンデ置イタ次第デス。
(C)(ラッキヨ)(梅干〉(醤油)(砂糖)(塩)(炭・…之ハ冬丈ガ多イト思ヒマスカ)……之等ハ、其時ニ、井上氏ナリ西光寺サンカラ拝借スル考ナレ共、之ガ毎月ドノ位トナルカ、一寸今デハ見当ガ付キカネマスガ、
(D)煙草代其他ノ雑費……?
 以上デヨイワケデアリマス。今迄ノ経験ニヨリマシテ、食物ハ(ABC)デ十分デアリマス。又英ノ時々ノ果物ナリ、ナンナリ、又、ソレ〈\アルモノデスカラ、豆腐モアリマスシ、(半丁三銭五痩ノ、……・半丁、朝タベテ、午后二時頃迄ハ、腹ハヘリマセン。其代り、水ヤ茶ハ、ズヰ分、驚ク程呑ミマスガ……鬼ニ角、ソレデ十分、ソレニ、(D)丈デアリマス。
 シテ見マスルト、根本ノ、米代……壱円五十銭ト云フモノガ動カヌトスレバ、毎月、五円ノ経費トシテ、残り参円五十銭ヲモッテ、毎月ノ(ABC)代ニアテ、ヤッテユク事ハ容易也ト信ジテ居ル次第デアリマス。……其内ニハ、オ寺ヤ井上氏カラ、オダンゴモアラウシ、其ノ時々ノ腹フクレル物ハ、チヨイ/\出テ来ルデセウヨ。
以上ハ私ノ概算デアリマスルガ、此ノ見当デヤッテ行ツタナラバ、此ノ庵ノ収入ノ範囲内ニ於テ、此ノ庵ニイッ迄モ止マッテ、独居無一言ノ生活ヲ続ケテ行カレル事ト信ジ、又、是非共、サウスル決心デ居ルノデアリマス。
 以上、御一覧ニ供シマス。
 『猶以上トハ別ノ話シニナル様デスガ、此島ハ、何物ニ不拘、スベテノ物ガ皆、オ盆ト、十二月トノ、一年、二度ノ支払トナツテ居リマス。デアリマスカラ、……之ハ、私ガ、虫ノヨイ考ナノデス〃、少々、マトマツタオ金ガアレバ、之ヲ銀行ニアヅケテ置ケバ、其ノ利子デモ、庵ノ一ケ月ノ費用位ハ、浮キ出セル様ニ思ツタ事デス。……之ハ、ホンノヱンリヨナイ処ヲアナタニ申上タ丈、決シテオコツテ下サイマスナ。』
 茲ニモ一ッ、オ話ガ残ッテ居リマス。ソレハ、先日申上ゲタ通り、現在、井上氏ノ手許ニ、「全捨円也」残金ガアルワケナノデス。井上氏ハ、「ナニ二月ヤ三月位、米デモ、ナンデモ僕ノ家カラ持ッテ行ッテ、暑中保養ノ気持デ居タライイデセウ」ト、最初申シテクレタノダシ、……ト考ヘテ見ルケレ共、全体、何月迄、私ヲ扶養シテクレル気持ナノカ、只漫然ト、サウ云ツタ風ニモ見エル。但シ、……(例ノ焼米故)二度オ米ノ袋ヲモツテ来テクレタケレ共、一袋ニハ全然手ガツカズ、前ノ一袋ガ、イツアク事ヤラ、之丈アレバ今年中位アリサウデスヨ。其外、近来ハ、何モ、モラハナイノデス。(食ハナイノダカラ〉芋モ、マダー度モモラハズ、皆近所カラ買ツタリ、モラツタリシタモノ計リデス。ソレニ、西光寺サンカラ、タクサンモラッタ、ソンナワケダケレ共、イッカ、「後援会ノ模様ガ、一ケ月ニ一ト口(五円)位ハ送レサウダカラ、サウ悲観スル勿レ」ト申シテ来タ、ト云ッタラ、大イニ喜ンデ居タ関係モアルシ……第一、小生、井上氏ノ処ヘ、オ金ヲクレ/\ト申シテ行クノガ実ニツライ…・(中略)私モ妙ナ男デスヨ、笑ッテ下サイマスナ。ソレデネ、カウモシタラト思フノハ、(アノ十日トテ、後援会ノ涙ノ出ルオ金故)アナタカラ井上氏ニ手紙ヲヤツテモラツテ、ーー放哉カラキケバ、色々、オ米カラ何カラ、出シテモラツタサウダ、処ガ、十円残ツテ居ルサウダカラ、其内カラオ金ニ換算シテ、アナタノ処ニ今迄ノ分ヲオ支払シテ、若シ、幾ラカデモ残ッタラ、十月分トシテ放哉ニ渡シテヤツテクレ、不足分ハ又、後援会ノ方カラ、放哉ニ送ル事ニスルカラトイフ様ナ意味デ、手紙ヲ出シテモラツタラドウカナートモ考ヘテ見タリシテイルノデス。ナントカシテ下サイナ。ソレカラ今後、送ッテ下サル、後援会ノ難有イ毎月ノ生活費ハ、直接、(井上氏ヲ通サズニ)私ニ御送り願ヒ度イト思ヒマス。……「オ金ヲ下サイ」ト井上氏ノ処ニ行ク気ニドウシテモナレナイ。少々御察シ下サイ、呵々。
 暗クテ字ガ見エナクナリマシタカラ、之デ今日ハヨシテ、又、カキマス。
 
「兎ニ角、厭人性ノ私ニハ、実ニ理想的ノ処ヲ得タワケデス。全ク、アナタノオカゲ。アナタハコレ丈ノ慈悲デモ未来ハ帝王ニ生レ変ルデセウ、ホントデスヨ」「ソレカラ、可笑シイ事ニハ、アレ程スキデ、三度/\食ハネバ変ダツタ「潰物」ヲ、入庵以来一度モ食ハズ、又食ヒタイトモ思ヒマセン、妙ナ事ニナルモノデスネ」
 
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